【投稿サンプル】『シロソラ』第1章/運営投稿
montageorangeSTAFF
夏の終わり。長い夏休みが終わって、面倒な学校生活が始まり、うんざりするほど鳴いていた蝉の声がようやく遠くなってきた頃。
???「ねえ、転入生がくるらしいよ。女の子だって」
教室は朝からその話題で持ちきりだった。
何たって受験を控えた中学三年生の二学期だ。こんな時期に転校するだなんて、きっと訳ありに決まっている。
よほど娯楽に飢えているのだろう。友人でもない、ましてや知人ですらない人間のゴシップに群がるクラスメイトを見ていると、いつもそう思う。
だって僕は、心底どうでもいいと思っていたから。
このときは、まだ――……。
朝のHRの時間を知らせるチャイムが鳴ったと同時に、みんなそれぞれの席につく。いつもはもう少し遅くやってくる若村先生が、今日はチャイムの終わりと同時にドアを開けた。
先生は教卓に出席簿を置くと、朝の号令をかけようとした日直を手で制してこう言った。
若村「今日は挨拶の前に、みんなに紹介したい人がいる。転入生だ」
どよめきが広がった。みんな口々に自身の予想を前後左右の友人と話している。
若村「白堂さん、こっちへ」
けれど、彼女が教室の前のドアから一歩入室した途端に、どよめきは一瞬で消滅した。気の早い秋の風が開け放たれた窓から吹き込み、白いカーテンを揺らす。
みんな息を呑んだ。
その子は、日差しを受けて輝く雲のような銀色の長い髪と、空のように透き通った青色の瞳をしていたんだ。
???「白堂シロです。卒業まで少しの間しかありませんが、どうかよろしくお願いします」
少し照れたようにそう言って頭を下げたあと、彼女は制服の袖で自分の目を擦った。
ソラ(なんか猫の顔洗いみたいだな)
白堂シロが視線を揺らして、ふいに僕で止めた。目が合った。間違いなく。なぜならその直後、彼女は僕に向かってにっこりと微笑んだのだから。
なのに僕はといえば、無遠慮にじろじろと彼女を見つめていた自分に気づいて、慌てて窓の外へと視線をそらすのだった。
昼休みを告げるチャイムが鳴った。
件の転入生、白堂シロは休み時間になるたびに、クラスメイトの男子生徒に囲まれている。もちろんその中に僕はいない。
購買に向かうために椅子から立ち上がろうとした僕の前に、人混みを掻き分けるようにして白堂シロがやってきた。今度の視線は僕からではなく、彼女の方からだ。何か言いたいことでもあるのかと首を傾げるも、白堂シロは口を閉ざしたままだった。
シロ「……」
ソラ「……」
見つめ合っている。ただそれだけで、他の男子生徒たちからの視線が痛い。何の用かはわからないけれど、たぶん白堂シロは話しかけてくる彼らを放って僕の方にやってきたのだろう。
シロ「……」
ソラ「……」
ただ見ているだけ。あるいは男子生徒に囲まれる煩わしさから逃げてきただけだったのかもしれない。
あいかわらず白堂は何も話しかけてはこないし、男子生徒は殺気だか嫉妬だかのこもった視線を僕に容赦なく向けてくる。ものすごく気まずいし、居心地も悪い。
仕方なく、僕は自分から口を開く。
ソラ「……えっと、何か用……かな……?」
朝のHRでじろじろと彼女を見ていたから、怒らせてしまったのだろうか。
シロ「……ぅ」
けれど彼女の唇がようやく動いた瞬間、僕は横から現れた友人の真崎に腕を取られて椅子から立ち上がらされた。
真崎「何やってんだよ! 急げソラ、カレーパン売り切れるぞ!」
ソラ「え、あ、ちょ――」
真崎「悪ぃ、白堂! こいつに話あんならあとにしてくれ! 俺ら購買組だから飯食いそびれちまうんだ! あ、白堂も購買なら一緒にくるか? 場所知らねーだろ?」
シロ「……お弁当……だから……」
真崎「OK、じゃあな!」
真崎は誰に対してもこうだ。粗雑だけど分け隔てがあまりない。こういうところは素直に凄いと思う。
ソラ(白堂、さっき何か言いかけてたような。まあいいか)
僕は真崎に引っ張られるように教室から出て、購買部へと連れて行かれてしまった。
だから結局、白堂シロが僕に何を言いたかったのかはわからずじまいだ。
放課後を告げるチャイムが鳴った。
白堂シロはあいかわらず男子生徒たちに囲まれている。なかなかの包囲網らしく、昼休みのように抜けてくるのは難しそうだ。女子生徒が何とか彼女を守ろうとしているから、白堂シロの周囲は余計に混沌としている。
真崎「帰ろうぜ、ソラ」
ソラ「うん」
僕はそんな彼女を横目に、さっさと教室を去ることにした。何せ僕は転入生に興味はないのだから。
……ないのだが。
下校途中、真崎がゲームや映画の話を喋っているのはわかっていたけれど、僕はすべて生返事をしていた。な
ぜなら僕の頭は、不思議と白堂シロのことでいっぱいだったからだ。
白堂シロはさっき僕に何を話そうとしていたのだろう。
銀髪や碧眼は綺麗だけど、外国人にしては背が低い。ちょうど男子の中では一番小さな僕と同じくらいだ。顔立ちやスタイルは日本人そのものに見える。真っ白みたいな名前だって日本的だ。
彼女が外国人ではなく日本人なのだとしたら、どうしてこんな時期に転入してきたのだろう。
真崎「……っ……ッ……ソラ! おいソラッ!! 何やってんだッ!?」
ソラ「ん? え?」
強く呼ばれて振り返る。真崎は僕の後方で止まっていた。その頭の上、歩行者用の信号機は赤色だ。
真崎「早く戻れ!」
僕は、横断歩道の中央にいたんだ。
真崎「ソラッ!」
ソラ「あ……」
迫るエンジン音に気づいたときにはもう遅かった。車高の低い赤色のスポーツカーが、すぐ横にあった。もちろん停まっていたわけじゃない。タイヤがアスファルトを引っ掻く耳障りなスキール音が響き、僕は身を強ばらせて目を閉じる。
ソラ「うわあッ」
けれども次の瞬間、思っていたような衝撃は来なくて。
僕は空に投げ出されていた。
いや、違う。投げ出されてはいない。
飛び込んできた人影に制服の襟首を噛まれて、スポーツカーの上空を飛んでいたんだ。親猫が子猫を運ぶときのように。
ソラ「うわっ」
アスファルトに両足をつける。首筋にかかる呼吸がこそばゆい。
人影は僕を対面の歩道まで運ぶと、ようやく噛んだ襟首を放してくれた。振り返った僕の目に映った人物は、白堂シロだ。
遅れて走ってきた真崎が、白堂に視線を向けて真顔でつぶやいた。
真崎「猫みてえ」
そのときになって、僕はどっと汗をかいた。いまさら恐怖が表れる。たったいま、僕は死にかけたんだ。
シロ「ソラ、だいじょうぶ?」
ソラ「……あ、あれ? 僕の名前……」
ソラ(名乗ってないはずだ)
ふと気づくと、白堂のカチューシャがずれていた。頭の上にはぴょこんと、猫のような耳が立っている。僕の視線に気づいた白堂が、乱れた髪を直すふりをしてカチューシャを戻し、猫の耳を髪の毛の中へと押さえて埋めた。
何だ、いまの? ただの寝癖? それとも本物?
真崎「大丈夫か、ソラ! 頭打ってねえか!?」
ソラ「うん。白堂さんのおかげで助かったみたいだ」
真崎「はぁ~。マジで焦ったぞ、このバカやろう。ぼーっとしやがって、何考えてたんだ?」
ソラ「う、ごめん」
ソラ(白堂さんのことを考えてたなんて言えるわけがない。本人もいるし)
真崎はどうやら白堂シロの猫耳には気づかなかったみたいだ。
シロ「ソラ。足、ケガしてる。消毒しなくちゃ。すぐ近くだからうちまで運ぶね」
真崎「あ、じゃあ俺が肩を貸――」
真崎が僕に肩を貸してくれるよりも先に、白堂シロが僕の襟首を再び噛んで軽々と持ち上げる。
ソラ「!?」
真崎「!?」
といっても身長はほとんど同じ高さだから、つま先は軽く地面についているけれど。それにしても、低身長の細身からは考えられない怪力だ。
さらに自分の学生鞄と僕の学生鞄をそれぞれの手で持って、真崎をその場に残したまま、白堂シロは平然と歩き出した。
真崎「………………猫みてえ。てか俺の存在忘れてねえ?」
白堂シロが僕を連れてやってきた家は、僕らが住む街でもかなり有名な洋館、通称“お化け屋敷”と呼ばれる建物だった。
四方を長く高い塀に囲まれた洋館はとんでもなく広大で、その庭園といえば手入れがまったくされておらず、塀の外からでは洋館がほとんど見えなくなるくらい、大きな木々が生い茂っていた。
ソラ「ここ、人が住んでたんだ」
シロ「少し前に買ったの。お父さんが。これはちょうどいいって」
どんな金持ちですか。
シロ「門を開けたら急いで入って。入ったらすぐに閉めるよ。外に出ちゃうと大変だから」
ソラ「外に出るって、何が?」
やっぱり大金持ちだから、ドーベルマンか何かを多頭飼いしているのだろうか。犬は好きな方だけれど、凶暴な番犬はちょっと怖い。
シロ「説明がちょっと難しい。きて。見せるから」
ソラ「うん」
白堂シロが門の横にあるカードスロットにカードを通した。ありがちなただの格子門ではなく、実に大きく重々しい木製の扉だ。それが重い音を立てて徐々に開く。
白堂シロは完全に門が開く前に身を入れると、僕を手招きした。僕が門の内側に入ってから周囲を見回し、今度は庭園側のスロットにカードを通す。
ゴゴゴと音がして大扉が閉ざされた。
大庭園は外から見た印象の通り、木々が生い茂っているだけのみならず、僕らの胸の高さにまで達しそうな植物がわんさか生えている。館へと続くと思われる道も舗装されたものではなく、まるで獣道のようだ。
シロ「門の音がしたから、いっぱいくるかも」
ソラ「何が?」
ガサ!
音がした方を振り向く。草むらから――……何だあれ? まん丸な毛玉に手足が生えてる物体が現れた。そいつはブルブルと全身を振ると、毛の隙間から覗いた目玉で門を見上げる。次に身体を軽く傾けてから、シロを見た。
シロ「もう閉じた。シッシ!」
毛玉は少し考えるような素振りを見せたあと、もさもさとカラダを揺らしながら草むらの中へと戻っていった。
ソラ「何あれ?」
シロ「ふつうの魔物だよ」
ソラ(魔物? ふつうの魔物? ふつうって何だ? 魔物?)
白堂シロが事も無げに言った。
シロ「さっきの子は人畜無害だけど、ここには危険な魔物もいっぱいいるから気をつけてね」
ソラ「へ? 危険な魔物って……」
ゲームやB級映画じゃあるまいし。そう言いかけた僕らを呑み込むように、大きな影が落ちた。僕らは上空を見上げる。
シロ「例えばこういうのとか」
ソラ「~~っ!?」
大きな。えっと、動物園で見るようなライオンくらい大きな獣の顔があった。そいつが恐ろしい牙を剥いて、いままさに僕に噛みつかんとして飛びかかってきていたんだ。
頭が真っ白になった僕は、ただ立ち尽くす。それはさっきスポーツカーに轢かれかけたときよりも唐突で、よほど現実味がなく。
牙が僕の頭部を噛み砕く寸前、小さな手がその獣の額にのせられた。
シロ「こら、だめ!」
その手には獣の牙にも匹敵するくらいの鋭い爪があって、飛びかかる勢いを殺すようにバリリと引っ掻きながら振り下ろされる。
――ギャウンッ!!
巨大な獣は地面に叩きつけられて悲鳴を上げ、這々の体で草むらへと逃げていった。僕の視界には白堂シロの細く小さな背中があった。
ソラ「……? え? へっ!?」
さっきの獣、背中に蝙蝠のような羽があった気がする。おまけに尻尾は蛇のように独自に動いていて、足は羊のような蹄鉄だ。鬣と顔つきはライオンなのに。
ソラ「な、な、な、何あれ……い、いまの見た? ねえ、いまの見た!?」
シロ「ふつうの魔物だってば。キマル……ん? キ、キモイ……ラ? え~っと、何だっけ……」
ソラ「キマイラ?」
シロ「そう、それ。ふつうのキモラ」
この子、何言い出したっ!? いつからここはRPGの世界に変わったんだ!? いないよ、そんなの現実の世界には! いたけども!
白堂シロが僕の足下を指さして言った。
シロ「あ、その水たまりだけど」
ソラ「んぇ?」
僕の右足の下は、浅い水たまりだ。さっきのキマイラに驚いて右足を浸けてしまったのだけれど、靴底だけで済んでいるからあまり気にしていなかった。
シロ「スライム」
ぞぞぞ、と水が右足を這い上がってくる。粘性を伴って。
ソラ「う、うわあっ!?」
慌てて右足を持ち上げて振ると、水たまりだった水は吹っ飛んでベシャリと地面に落ち、またしてもふつうの水たまりへと変化――擬態した。
ソラ(スライム? スライムってもっと可愛らしい水滴みたいなやつじゃないの?)
シロ「気をつけて。大きいスライムだったら全身覆われて、そのまま溶かされて食べられちゃうから。いまのくらい小さいと、蟲しか食べないけど」
ソラ「え……ええ……」
シロ「スライムは爪で引っ掻いても水みたいにすぐに戻っちゃうから、キモラなんかよりよっぽど面倒なの。だからソラ、ここではあまり水に近づかないでね」
ソラ(何ここ? “お化け屋敷”なんてただの無責任なうわさ話だと思ってたのに、完全に本物じゃないかぁ~)
僕は思った。帰ろう、と。
ソラ「あ、あの、白堂……さん? 僕やっぱそろそろお暇しようかと――」
シロ「だめだよ! ケガしてるんだから。ソラん家はここから結構遠いんだから、歩くにしたってちゃんと治療してからっ」
ソラ(何でうちの場所まで知ってんの? ストーカー……なわけないか。彼女なら引く手数多だろうし、僕は同世代では身長が低い方だからほとんどモテない)
シロ「ほら、きて。すぐ近くだから」
白堂シロは僕の腕に両腕を絡めて、強引に引っ張って歩き始めた。まるでジャングルのように、木々が鬱蒼と茂る大庭園を。
その後もたびたび得体の知れない“魔物”とやらに襲われたけれど、そのほとんどを白堂シロが猫のように爪で引っ掻いて追い払う。
僕は途中から現実逃避のため、白堂シロの攻撃を数字に置き換えるなどの妄想をして、どうにか、これはゲームであると脳内変換することでやり過ごした。
そして。
シロ「ふぃ~、やっとついたねえ」
ソラ「うん……」
たしかに距離は近かった。でも、魔物が次々襲いかかってくるせいで時間は結構かかった。
生きた心地はしなかったけれど、僕らはどうにかお化け屋敷――もとい、洋館の前まで辿り着くことができたようだ。
ソラ「白堂さんは、この大庭園を通って毎日学校にくるの?」
シロ「そだよ?」
ソラ「何というか、その……大変なご実家、だね……」
戦っているうちにカチューシャがまたずれたようで、猫の耳が銀色の髪からぴょこんと飛び出している。
白堂シロが首を傾げて何かを僕に言いかけた瞬間、洋館のドアがひとりでに勢いよくバァンと開かれた。
ソラ「――ッ!?」
何と言ってもここはお化け屋敷だ。僕はまた魔物が襲ってくると思って、身をすくめたけれど、意外にも中から飛び出してきたのは、薄汚れた白衣姿の、もっさりとした長髪のおじさんだった。
???「おかえりっ、マイスウィート・シロちゃぁ~~~~ん!」
シロ「~~ッ!?」
???「ムチュチュチュムッチュ~」
おじさんが唇を尖らせたキス顔で白堂シロへとダイブする。
身の毛もよだつおぞましさに、白堂シロの頭髪が逆立った。
シロ「ふぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
次の瞬間、白堂シロはアッパーカット気味におじさんの顔をバリリと縦に引っ掻いて、さらに返す刀で上方からも引っ掻き下ろし、勢いそのままに地面へと叩き伏せていた。
???「ぐふぅ!」
会心の一撃だ。気のせいか、魔物に対する攻撃より容赦がなかったような。
僕は地面に伏せたおじさんを指さして、白堂シロに尋ねる。
ソラ「えっと、僕には人間っぽく見えたんだけど、これも“魔物”?」
シロ「そう。これだけは息の根を止めなきゃ」
白堂シロが爪をシャキーンと伸ばした瞬間、おじさんがガバっと顔を上げた。
???「ちょっと待って!? よく見てほら! 愛するお父さんだよ、シロちゃん!? 白堂文太郎博士! キミのパパ! ねっ!?」
白堂シロが心底嫌そうな視線を向けて、舌打ちをしながら爪を引っ込める。
ソラ(何この親子? 博士?)
文太郎「ところでシロちゃん。カチューシャがずれて耳が出てしまっているよ。気をつけなさい」
シロ「あ」
白堂シロが猫の耳を手で押さえて、僕に苦笑いを向けた。どうやら僕が猫耳に気がついていなかったと思っていたようだ。
シロ「こ、これは、その……」
ソラ「似合ってるよ」
シロ「う……? ……えへへ……」
白堂シロが赤面する頃、文太郎さんは僕を鬼の形相で睨んでいた。
心の底から帰りたい。
訪れた白堂家の玄関で、僕はなぜか白堂シロの父である白堂文太郎さんに説教をされていた。
文太郎「貴様がどこの馬の骨かは知らんが、私の可愛いマイスウィートに土足で近づく輩は漏れなく便所蝿と合成して蝿人間に――」
言葉の途中で白堂シロが白堂文太郎の顔面を、猫の爪で引っ掻いた。
文太郎「痛いっ!! シロちゃん!? パパに何するの!?」
シロ「生ゴミ錬金装置はもう使っちゃダメって言ってるでしょ! それと人体を使っての融合錬金は絶対禁止! ヒトゲノムは弄っちゃだめ!」
ソラ「な、生ゴミ錬金……何……?」
文太郎さんが誇らしげに胸を張る。
文太郎「そうとも! 何を隠そう庭園を守護する恐るべき魔物たちは、この天才たる私、白堂文太郎博士が蒙昧なる動物どもを適当に融合錬金して作った芸術作品なのである! フハハハハハ!」
守護する。何からだろう。あの魔物たちは、家主一族である白堂シロにも襲いかかってたように見えたけど。
文太郎「そして貴様もすぐにその仲間入りだッ!! 貴様も家族にしてやろうかッ!!」
ソラ「――っ!?」
バリリ!
文太郎氏の左右の眼球を正確に通るように、白堂シロが猫爪を薙ぎ払った。
文太郎「シロちゃんっ!? 目はやめてっ!? お父さん光を失っちゃう!!」
シロ「バカなこと言わないで。この子がソラだよ、お父さん」
文太郎「む……」
文太郎氏の顔つきが変わった。引っかかれた目で僕をまじまじと見つめる表情は、先ほどまでとはまるで違って別人のように真摯だ。
文太郎「……そうか。キミが」
どういう表情だろう。そこには多くの言葉や感情が込められているような、そんな顔だった。だけど、次の瞬間には喉から言葉を絞り出すように。
文太郎「だが、娘はやらん。あきらめなさい」
ソラ「へ?」
シロ「フギャ~~~っ!? や、や、や、やめてよねっ!?」
白堂シロが顔を真っ赤に染めて、文太郎氏の顔面を縦に引っ掻く。
文太郎「痛いっ!! 娘の暴力が本当に痛い! 肉体より心にきちゃう!」
シロ「お父さんが変なことばかり言うからでしょ!」
文太郎氏の顔面はもう血まみれだ。これはちょっと話題を変えた方がいい気がする。興味はないけれど、僕はあえて尋ねてみた。
ソラ「あ、あの、そんなことより、生ゴミ錬金って何ですか?」
文太郎「ん? いま錬金システムのこと聞いた? 私に聞いたよね? いいだろう! 冥土の土産に教えてやっても構わんぞぅ!」
白衣まで血飛沫に染めた文太郎氏が、嬉々として語り出す。典型的なマッドサイエンティストの顔で。
その無駄に長い話を一割に縮めて要約すると、概ねこういうことらしい。
①文太郎氏の発明した錬金システムに大量の有機物――つまり生ゴミと生物のゲノム情報を入れてスイッチポン。
②奇怪な異形、つまり白堂家の人々曰く“魔物”が誕生する。
③なぜか人を襲うから館の外に追い出して、大庭園に解き放つ。
④大庭園内で勝手に魔物たちが生態系を作り出す。
⑤ご近所さんがたまたまそれを見かけてしまったり、恐ろしい鳴き声を聞く。
⑥クソガキ「やーい、おまえんち、お化け屋敷ぃ~!」
ソラ「何のために?」
文太郎「くくく、何を隠そう私は、ただこの世界を危険な魔物の闊歩するファンタジックで楽しいものにしたいだけなのだ!」
シロ「ただのゲーム脳」
ええええ。そんなことのために。
文太郎氏は恍惚とした表情で語り続ける。
文太郎「ゲーム脳上等だとも! 私は常々思っていた。この退屈な世界を変えたいと。魔物だらけとなったこの世界を、RPGのように剣一本で冒険してみたい。ともに血を流し戦う仲間。固い友情で結ばれたパーティ。そしてパーティ内で芽生える小さな恋」
シロ「そんなだからお母さんに逃げられたんだよ」
文太郎「シロちゃん!? やめて、その言葉は私にとっても有効だから!」
文太郎氏が僕の肩に両手をポンと乗せた。
文太郎「ソラくん、男子であるキミならわかるだろう。最高だと思わんかね」
ソラ「いえ、まったく」
文太郎「そうだろうとも! 男の浪漫よな!」
どうやら僕の言葉は、文太郎氏には一切届かないシステムらしい。
文太郎「だがしかし日本には世界に誇る優秀なる自衛隊組織というものが存在している。私が大庭園の魔物たちを解き放ったところで、あっという間に駆逐されてしまうだろう。ゆえに私は考えた。彼らに負けぬ魔物を作らねばと。すなわち空を駆け、あらゆる攻撃を強靱なる鱗で弾き、世界を灼き尽くす炎を吐くドラゴンだ」
シロ「お父さん知ってる? それ、テロっていうんだよ?」
文太郎「違うよ、シロちゃん。失敗すればただのテロだが、成功すればクーデターだ。正義の革命なのだ」
あまり変わらない。そう言おうかと思ったけれど、僕の言葉は文太郎氏には届かないシステムになっているらしいからやめておいた。
文太郎「そして魔物によって恐怖のどん底に落ちたこの日本を、私が勇者として竜退治を成し遂げ、見事に救うのだッ!!」
壮大な自作自演だなぁ。でも庭園の魔物たちを見ていると、やりかねないと若干思えてくるところが恐ろしい。
文太郎「だが生ゴミ錬金システムは残念ながらまだ未完成なのだ。融合したゲノムが安定しない」
シロ「ソラはもう気づいてると思うけど」
白堂シロがカチューシャを自ら外した。銀色の猫耳がピョコンと髪から飛び出す。
シロ「わたしも半分魔物。ネコゲノムと混ざったヒトゲノムが安定していないの」
その言葉の意味が理解できた瞬間、僕は血が逆流するような気持ちの悪さを感じた。白堂シロが庭園の魔物と同じであるということは。
ソラ「ちょっと待って。文太郎さんは、自分の娘を実験台にしたってこと?」
文太郎「……それに関しては、やむを得なかった」
ソラ「あんた……」
おもしろいおじさんだと思っていた。けれど、いまは気持ち悪い。恐怖すら感じる。
シロ「違うの。怒らないで、ソラ。わたしね、小学生のときにひどい交通事故に遭ったの。身体がぐちゃぐちゃになって、片脚なんて動かなくなっちゃって、お医者さんからは見た目ももう二度と治らないって言われて、……お父さんは仕方なく……」
文太郎「……」
ソラ「そう……なんだ……」
そんなことを話されては、もう僕には何も言えない。きっと白堂シロの母親がここに住んでいないことも、それに関係しているのだろう。猫という異物と融合した白堂シロを、自分の娘であるとは認められなかったのかもしれない。
文太郎「続けても構わんかね」
ソラ「ええ」
文太郎「シロのヒトゲノムが安定しない。このままでは娘は徐々に猫化する。そこで他人からヒトゲノムを定期的にわけてもらう必要があったのだ。本来ならば私のものを使うべきところではあるのだが――」
シロ「絶っっっっ対っっっっ、嫌っっっ!! アホが伝染する! わたしはソラのじゃなきゃ嫌なの!」
文太郎氏の頬を一筋の涙がつぅと伝った。
文太郎「ということらしい。娘は不思議と私のゲノムを拒絶するのだ。もともと半分は私の遺伝子からできているくせにぃ」
シロ「気持ち悪いこと言わないでくれる?」
ソラ(不思議かなぁ?)
文太郎「そのようなわけで、皮膚でも髪の一本でも血の一滴でも構わない。ソラくん。キミのヒトゲノムを定期的にわけてはもらえないだろうか」
そんなことでよければと、僕は髪の毛を数本引き抜いて文太郎氏に手渡した。文太郎氏はそれを受け取って、僕に深々と頭を下げた。
文太郎「感謝する。………………娘はやらんけどな…………」
ソラ(何で僕じゃなきゃダメなんだろう?)
白堂シロを盗み見ると、彼女は頬を少し染めながらニコニコ微笑んでいた。
白堂家の客間で擦り傷を白堂シロに消毒してもらいながら、僕は先ほどまでのことを思い出していた。
文太郎氏はだいぶ頭のおかしな人のようだけれど、ちゃんと娘のことだけは心配して考えているのがわかる。
シロ「凍みる?」
ソラ「大丈夫。ありがと、白堂さん」
シロ「えへへ、こちらこそ……」
ふと思い出した。過去にもこんなことがあった。
小学生低学年の頃、小さな女の子が高学年の男の子たちに突き飛ばされたりしていじめられているのを見たことがある。女の子は足が不自由だったらしく、抵抗はもちろん逃げることもできていなかった。
クラスメイトのうわさ話では、彼女は僕とは別のクラスで、学校からの帰り道にひどい交通事故に遭ったらしく、もう長い間、顔や身体に包帯を巻いているのだとか。
いじめっ子は彼女を「ミイラおんな」や「ゾンビおんな」と言ってからかっていた。ずれた包帯から爛れた皮膚が見えていたからだ。そのうちいじめっ子のひとりが拳大の石を持ち上げて「退治してやる」と言った。気がつくと僕は、彼らの前に飛び出して「やめなよ」と言っていた。
その後のことは言わずもがな――……。
女の子の代わりに僕が殴られたり蹴られたりして、気がついたときには公園のブランコに座り、僕は大泣きしながらその子に絆創膏を貼ってもらっていた。
女の子の方がよっぽど大きなケガをしていたのに、その子は小さなケガで泣いている僕に絆創膏を貼ってくれたんだ。
ただ、そのときは女の子も泣いていた。一緒に泣いていた。
それから僕はその子とよく遊ぶようになった。
いつも学校帰りの公園だ。ブランコをしたり、ジャングルジムに登ったり、けれどボール遊びだけは、女の子の足が悪いからあまりしなかったな。
彼女のケガはいつまで経っても治らなかった。彼女の全身に巻かれた包帯や引きずる足は、およそ一年後に彼女が引っ越していく日まで続いていた。だから僕は包帯の巻かれた彼女の素顔さえ、最後まで見ることができなかった。
僕は彼女の素顔を知らなかった。
ああ、でも。
思い出せそうだ。
今日のように彼女に絆創膏を貼ってもらった日。
僕は彼女の名前をたしかに聞いた。
???『シ』
???『ロ』
そうか。白堂シロはあのときの。
ソラ「…………元気になったんだね、シロ」
シロ「――!」
彼女は微笑む。包帯の隙間から見えていた、あの頃と同じ唇の形で。
僕らはようやく、笑い合うことができた。
ーつづくー