貴女のナビシートに私はいない

▼運営側から原作小説の冒頭をネーム化し、付け足しさせていただきました。

 どんな人にも自分自身の嫌な部分はあると思う。
 わたし……柊夕月の嫌な部分は……卑怯な所。

「どうしたの?」

 怪訝そうな声色だが優し気な表情の彼女に曖昧に頷く。
 わたしは……同性で幼馴染の同級生に恋をしている。
 だけど……あぁ!
 わたしは愚かにも無害な友人の振りをして彼女に近づく卑怯者なのだ!
 どうか……、神でも悪魔でもいい。こんなわたしを消してくれ! と日々祈らずにはいられないのだ……。







「今日も人が多いわね……」

 うんざりしたように呟き、漆黒の長髪を鬱陶し気にかき上げる。けどそんな仕草がまるで何億円もする絵画の如く絵になる彼女の名前は冬月理央。彼女は人混みを嫌い、どちらかと言えば物静かな場所を好む。
 わたしと理央は幼稚園の頃からの幼馴染で、苗字と名前が似ている、なんて些細な事で仲良くなった。

「ま、まぁ学校だからね……」

 わたしがまぁまぁと宥めると理央は無言で肩を竦めて、不服そうに教室に入っていく。その後にわたしも続く。
 理央が教室に踏み入れると男子が密かに盛り上がる。理央はただ歩くだけで、人の目を引く。
 男子は届かぬ夢と知りながら、彼女が自分の恋人だったらというくだらない妄想を繰り広げ、女子からは溢れんばかりの羨望の目を向けられる。
 自身と隔絶した美しさは嫉妬すら抱く事はないとわたしは知っている。
 わたしが続いて教室に入るとクラスメイト達はそれぞれグループ内のお喋りに戻っていった。

「…………」

 まぁ……うん。わたしのクラスでの立ち位置はモブ。特に話題に上がる事もない石ころと同じ。だからこそわたしは理央の隣に居られるのだ。
 わたし達の席は前後で、前に理央。後ろにわたしという配置。
 鞄を置くとクルリと席を回してわたしの方へと向いてくれる理央と授業が始まるまでの他愛もない雑談に興じる。
 これが男女だったらそうはならなかったかもしれない。同性だから理央はその笑顔をわたしに向けてくれる……のだと思う。
 昨日、帰宅後にあった出来事を私に話してくれる理央を思わずジッと見ているとクスリとほほ笑んでくれた。
 不味い、無遠慮に見すぎた!?
 内心焦っていると笑みを深める理央にどうやら不快感を与えた訳ではなかったようで安心する。

「夕月は気が付くと私を見ているわね、そんなに面白い顔かしら?」

 自分の頬を両手でむにっと引っ張る理央にわたしは心の中でガッツポーズと雄たけびを上げた!
 くぁあいすぎる!
 キレイ系の極致である理央のかわいい仕草はわたしを殺しかかってる!
 くっ、集中!
 崩れそうになる表情をなんとか曖昧な笑みに留めてる事ができた。

「面白いんじゃなくて、美しいからずっと見ていただけだよ」

 ……はぁ?
 わたしは何言ってんだ?
 こんな事言いだす友達が居たら私は次の日から無視するが?

「! も、もう。夕月は平然と恥ずかしい事を言うわ……」

 うん、照れてる顔もかわいい。心の中の私がサムズアップしている。いい笑顔で。

「夕月は見た目の印象と違ってクールよね」
「い、いやそんな事言うのは理央だけだから……。たぶん、自分自身を落ち着けるのに手間取って固まってるのがそう見えるだけじゃない? あと変な言いださないように取り繕った結果、無駄にかっこつけたセリフが出るんだよ。うん」
「またまた。夕月は面白いわ」

 冗談だと取られたらしい。まごうことなき真実なのだけど……。
 でも理央に喜んでもらえるなら進んで道化になる覚悟!
 そんな風に他愛もない授業開始前の日常。教師が入ってきて散っていた生徒達も各々の席に戻っていく。

「ふぅ……。お昼休みまで退屈な授業の開始ね」

 肩を竦めて、前を向く理央。
 その神々しい顔を見れないのは残念だが、今度は一目で理央だと分かる後ろ姿を心置きなく眺める事ができるのだ。

「…………」

 先ほどは退屈と発言していた理央だが、それは授業が分からないと言う意味ではなく、聞くまでもないという意味である。つまり抜群に頭が良くて聞く必要がないと言う事なのだ。
 天は理央に何物も与えたらしい。いや、理央こそが女神では?
 いやいや、あの魔性は神すらひれ伏す魔王かも。
 わたしは喜んで地べたに這いつくばって、傘下に下る所存。

「――ここの公式は――。次のテストに出るから――」

 教師の声がつらつらと流れいく。
 退屈だと言っていたけど、授業を聞く姿勢はピシッと姿勢よく、揺らぎすらない。聞く必要がなくてもしっかりとノートを取って研鑽に役立てる。

「…………いつまで一緒に居られるかな」

 頬杖を付いて、思わず呟いてしまう。
 自分自身でも止めようがなく、普段はただ理央を崇め奉っていればいい、本気の気持ちに目を向けない様にしているわたしの気持ちが横にズレ始めるのを感じて……、でももう誤魔化しも聞かず考えなくていいことを考え始めてしまう。
 理央の家の歴史は古く、名家と言う奴で一般家庭より相当裕福だ。
 今の理央は男性がやや苦手な傾向にあるが、いずれはしかるべき男と家庭を持つだろう。
 そして……その時はもう遠くはない。
 高校生活の一年目も終わり頃。理央は進学するだろうから大学に行く筈だが、それも四年ちょっとで学生が終わる。
 大学に一緒に行っても、たとえ同じ場所に勤める事になっても、女のわたしでは彼女の家族になる事はできない。一生仲のいい友達の枠を超えらない。
 ならいっそ、わたしが『この男なら』と思える奴に託すのもいいかもしれない。

「いやいや、何を言ってるだよ。何様のつもり?」

 理央にとってはわたしはただの友達で……そんな権利はないのだけれど……。
 想像する。理央の結婚式に呼ばれるわたしを。
 想像して……嫌すぎで頭を搔きむしった。

「うぅー!!」
「……柊」
「!?」

 黒板前の教師と目が合う。

「お取込み中のところ悪いが前に出て問題を解いてくれ」
「……はい」

 不味い。何も聞いてなかった。モブ属性のわたしは学力もフツーだ。
 しかしいつまでも突っ立て動かない訳にはいかない。
 なるべく考える時間を捻出するためにトロトロと黒板へ向かう。

(ぜんぜんわからん!)

 まだ黒板まで少し距離があるが、すでに見える範囲で分からない。
 当然である。聞いてなかったのだから。
 仕方ない、適当に書いてクラスの連中に笑われるしかない。
 処刑台に上る気分で黒板の前に進み出る……直前。
 そっと手を握られる。理央の細い指が絡まる様にわたしのこぶしを一瞬解く。

「!」

 理央の小さな目配せ。
 握られた手を見ると……小さな紙片が。
 どうやら答えを書き記してくれたようだ。
 わたしは理央に向かって小さく頷く。

「……正解だ。もう少し大人しく聞いてくれるとありがたい」
「す、すみません……」

 なんとか問題を正解して、お小言と共に解放される。
 自分の席に戻る途中に拝む様に謝る。

「……………」

 口ぱくで理央が気にするな、と。本当ならちゃんとお礼がしたいのだけど、今は授業中。
 お昼にちゃんと謝ろう……。
 はぁ……こんな風に理央と何気ない日々が一生続けばいいのに……。
 少しの間だけ、天井しか見えない天を仰ぐのだった。





「さっき……ありがとね」

 お昼休み。騒がしいのを嫌う理央の意思で学食の片隅に陣取る。
 理央は優雅にうどんをすすっていた。お嬢様な割には舌は庶民的。麺を一すすりして、口元を拭う。そんな仕草が艶めかしいので困る。

「ふふっ、次からは気を付けないとね……。夕月って昔から授業中によく考え事をしてるわよね? 何考えてるの?」
「え? 理央の後ろ頭がキレイだなって」

 脳が処理を終える前なのに理央についての事は反射の様に体が勝手に答えてしまう!

「頭? 形が?」
「そ、そうだね」

 理央は学力は高いがこんな風に抜けてるところもあったりして、そこがかわいい。
 そして理央とは長い付き合いだが、わたしの失言に気が付かれない理由でもある。
 助かったー!

「夕月のカツサンド……限定品だったかしら……。おいしそうね。一口くれない?」

 ジッとこっちを見てるからわたしもつい理央の綺麗な漆黒の瞳を眺めていたのだが、どうやら理央の方はわたしの手元……期間限定メニューのカツサンドに向けられていたようだ。

「うん? いいよ」

 わたしがカツサンドを右手で差し出すとあーんと口を開ける。カツサンドは結構厚みがあるので大きく口を開ける理央。そして大きく開けられた口の中、綺麗な歯並びが眺められる。

(さすが理央。歯並びすら美しい……)

「…………」
「ゆぅづひぃー?」

 口を開けたまま、催促する理央に意識を呼び戻された。
 なんだが卑猥に感じるのはわたしがすけべだからだろうか?
 理央の口を開けた姿を他の連中に見られる訳にはいかない。
 ゆっくりと理央の口の中にカツサンドを入れた。

「あ……。んむ。結構大きいわね」
「…………」

 ゆ、指先が……。
 わたしの人差し指が……。
 理央の舌に触れ……たッ!

「あ、ごめんなさい。指噛んじゃった?」

 わたしが自分の指を見ていたので理央が心配そうに尋ねる。

「いや! 大丈夫!」

 慌てて誤魔化す。

「それより! おいしかった?」
「えぇ。とても。今度私も買ってみるわ」

 理央が再び優雅に口元を拭う隙を見て、自分の右手の人差し指をペロリと舐めた。
 うぅ、ごめん理央!変態でッ!
 でも言いえぬ快感がわたしを襲い、酷いと思いながらやってよかったと思う自分がいる。あぁわたしは死ねばいいのに。

「さて。お昼も食べたし、出ましょう」

 お姫様は食事が終わったので人が多い学食からは出たいようだ。
 わたしもトリップを即座に終わらせ席を立つ。
 足音を立てず立ち上がり、颯爽と歩く姿は迷いがない。そんな理央の後ろに付き従う様にわたしも歩く。
 午後の授業も日々の日常を変える事なく過ぎていった……。




「ふー……部室は落ち着くわ」

 学校の片隅にある我らの部室。
 通常の授業が終わり放課後。わたし達の学校は今時珍しく生徒数が多い。通う生徒はお金持ちからわたしのような一般的な家庭の生徒まで幅広い。
 資産のある家からの寄付も多く、学校自体に資金に余裕があるので、最低人数の2人居れば部活動を作れる。
 部室も小さいながらに与えらるので、小さな部活が乱立しているのが現状だ。
 わたしと理央が歩いているここはクラスがある本棟から少し離れた学校の敷地の端っこにある部室棟で、小さな部室が連なってマンションみたいになっている場所である。
 いつもの様に理央が鍵を開けて中に入る。部室内は簡易机を二つ合わせた物が中央にあり、どこでも見かけるパイプ椅子が四つ。そして本棚。おしゃれの欠片もない事務用品の物入。
 その物入の上には……大量の車のプラモデル。
 ここは理央が作った、現状わたしと二人だけの部活。自動車部である。
 そのピアノでも弾いていそうな見た目から想像できないが理央は車が好きなのだ。
 ここに飾ってあるミニカーやプラモデルは理央の私物。
 わたし自身は車の事はさっぱりなのだが、理央の話やイベントに付き合う内に詳しくなってしまった経緯がある。
 自動車部と言っても実際に車に乗る訳ではなく、車の歴史やモータースポーツの観戦、自動車の未来など、現代において欠かす事の出来ない道具である車について考える部活……と理央が色々理由を付けてそれらしくお題目が立てれ、創設された。
 まぁ……すべて建前である。実際は学校で個人スペースが欲しかったと言ったところだろうか? 偶に授業をサボり部室でのんびりしている事もある。いや車好きなのは本当だが。

「うぅん……最近の新車はダメね」

 車の雑誌を眺めながらアンニュイな理央。うん。どんな理央でもかわいいし、美しい。これが正義。

「最近は利便性やエコなんかが優先されるからねぇ。理央が好きそうなスポーツカーは中々出てこないかも……」

 理央はとにかく乗り心地やエコなんて物が全面に押し出された車が嫌いで、時代を逆行する平べったく環境なんて欠片も考えられていない大排気量と莫大なパワーが盛りだくさんの車が大好物なのだ。
 そして……ほぼ二人乗りだ。
 …………きっと理央の隣にはわたしの席はないのだろう。
 わたしは車で回る旅行雑誌を眺めながら理央の顔を盗み見る。

「早く免許が取りたいものだわ」 
「ならわたしも一緒に自動車学校に行こうかな」

 わたしがなんとなく発した言葉に理央がこちらに振り向き、うれしそうな浮かべる。

「本当に!? 夕月と私は誕生日も近いから一緒に行けるとうれしい!」

 向かい合って座っていたが、理央が心なしかいつもより早歩きで(理央は走るなんて優雅さに欠ける事は滅多にしないのだ)椅子を引きずりながら隣に座ると、片手を差し出してきた。

「?」
「指切り! 約束」

 真剣な表情の理央に思わず笑みがこぼれた。

「うん。約束」

 わたしも小指を差し出して、理央の長い指と絡ませる。

「指切りげーんまん、ゆびきった!」
「切った!」

 うん。今から楽しみだ。きっと理央と行く場所ならどんなところでも楽しい。理央に想いを告げなくても、友人として……楽しめる。

「でもバイトしないとだね。最近は結構お金が掛かるらしいし……」

 きょんとんした理央だが、すぐにふっと鼻で笑う。

「駄目よ」

 突然のバイト禁止に驚く。

「え? なんで!?」
「夕月がバイトに出てたら放課後一人なってしまうじゃない。お金ぐらいうちから出すわよ」
「いやいや、流石にそれは……!」

 理央の家ならぽんと出してくれそうな気もするが、流石にわたしが困ってしまう。

「理央は一人の方が好きでしょ……。普段からそんなにお喋りしてる訳でもないんだし」

 わたしの言葉に眉根を寄せる理央。そんなに怒った様には見えないが、結構怒ってる。整った顔の怒りの表情はそれなりに怖い。

「確かに一人は嫌いじゃないけど……夕月とは会話がなくても一緒に居て気にならないし、なにより貴女が居ると安心するのよ。それに……夕月も私と一緒に居るのは好きでしょ? 夕月自身でも『なんか』って言葉、許さないわよ?」

 わたしと理央では一緒に居て『好き』の意味が違うんだけどなぁ。

『好き』って言葉に一瞬動揺するけど、すぐに立て直す。

「ごめん」

 変な事を言わない様に素早く謝る。

「許します」

 尊大に胸を張る理央に苦笑して、机に頬杖を付いた。

「親に借りかねぇ」
「出してあげるのに……」

 理央はまだ不満そうにしているが、そこまで世話になる訳にはいかない。

「実は免許が取れたらおじい様が好きな車を買ってくれるって約束をしてくれたの」
「えぇ? 理央の好きな車ってめちゃくちゃ高くなかった?」
「でも約束したのだからおじい様には約束を守ってもらうつもり!」

 嬉しそうに憧れの車を語る理央。そんな理央の話をわたしは同じように笑顔で聞いているのだろう。
 二人だけの空間。心地の良い、気を使う必要のない時間。
 けれど……そんな時間は……唐突かつあっけなく……終わりを迎えた。
 二人以外には開ける事のない部室のドアが開けられた時から……。




 時間的には放課後が始まって少し経ったぐらいだろうか?
 控えめに部室のドアが叩かれた音がして理央が怪訝そうに首を傾げた。

「先生かしら?」

 わたし達のような小さな部の顧問は同じような小さな部活を大量に受け持っている。なので言葉を交わすどころか、姿さえ見ない日が殆どだ。

「別に提出するような書類もなかった筈だけど……」

 理央と共に心当たりを探していると再び控えめにドアが叩かれる。
 どうやら聞き間違えでもないようだ。
 怪訝そうにしながらもドアを開ける理央。

「すみません、お待たせしま――」

 後ろ姿の理央の肩が大きく跳ねたのが見えた。
 ドアが叩かれた時点で気が付くべきだった、先生ならノックと共に要件とかを言うだろう。先生も悠長に待つ程、暇じゃない筈。
 そして理央が固まった以上、先生ではない。
 わたし達の部室は一番奥にあり、お隣さんは知り合いなので理央が固まる事はないし、先生ならしっかりと対応する。
 では誰なのか……答えは知らない人だということだ。
 背の高い理央の向こう側は見えない。けど理央が困っているならわたしが動かない道理はない。
 わたしが立ち上がろうとした時……。

「あ、あの! ここが自動車部ですか!?」
「え! あ、はい。そうですが……」

 扉向こうの人物の声が小さな室内に響く。

「俺、車が好きで……でも周りには車好きがいなくて……。この学校に自動車部があるって聞いて……見学したいと思って来たんですけど……ダメでしょうか?」

 かつては車を持っていない男は女性のデートする条件から外されるほど、男性にとって車が必需品であった時代があったらしい。またどんな男性でも方向性はあれど車好きが多かった。
 が……それはすでに過去の話になり、車に興味すらない男性が多くなった時代に彼の様な男性は珍しい。

「あ……。どうぞ」

 知らない人だったショックから回復したらしい。完全に外行きの微笑を浮かべると体をずらして道を開ける。
 わたし?
 上げかけたシリをどうしたらいいのか……迷い、半端なままだったので、ゆっくりと再び椅子へ戻した。
 入って来た奴を観察する。
 …………。
 第一印象は主人公、かな。
 よくあるギャルゲーとかの優男。ガタイもそんなに良くはない。顔も優しい顔つきだが誰からもモテると言った感じではない。
 でも少年漫画のラブコメとかでモテモテの感じ。
 印象は無害そうだ。
 しかし油断はしない。
 というのもこの手の男はこの自動車部の発足当時は大量に居たからである。それこそ床に出現する黒い虫けらの如く。
 その男達の目的が……同じ部活に入って理央と仲良くなろうという魂胆なのだ。
 部に見学に来ても車に興味がないのがモロバレして理央に叩き出されてのはよく見た光景である。

(まだ懲りない奴がいたのか……)

 わたしのジト目と目が合ったラブコメ君――わたしが脳内で勝手に付けた名前だ――ペコリと頭を下げた。

「この部活は自動車の様々な事を考える部活となっています」

 普段は二人だけなので部長の肩書が必要な場面はないが、現在は見学者がいるので部長である理央が部についての説明をしている。

「自動車の歴史についてはもちろん、技術的な事についてもまとめています」

 理央の低めな声は惚れ惚れする。しかし彼は理央のありがたい説明を聞かず、ちらちらと棚の方へと目が泳いでいる。
 見た目に反して肉食系な性格をしているようだが、理央を前にして緊張が抑えられないと言ったところか。

(ふっ、理央の表情がフラットになっていくのに気が付かないみたいだね!)

 ラブコメ君が話を聞いていないのは当然、理央にも分かっている。
 理央は分かりやすくキレたりしない。怒りが大きい程、感情が削げ落ちていく。
 うん、すっごい無表情。

(彼、終わったな)

 他のチャラ男やヤンキーの様に叩き出される未来を空想し、わたしは小さく合掌した。

「アナタ――「これってあの映画仕様のマシンですよね!」」

 ラブコメ君が指さしたのは黒いアメリカの車。映画自体は有名だが、マイナーな一作目に登場する車である。

「!! 分かるの!?」

 怒っていた理央が演技ではない驚いた表情を見せた。

「こっちのラリーカーはあの伝説のマシンですよね?」
「! そう! よくわかるわね!」

 理央が嬉しそうにうなずく。
 そこに飾ってあるのは理央が一番好きな車である。
 そこからは早かった。流れる様に理央と彼の話はディープな方向へシフトしていく。同じ趣味を持つ者話が弾むようだ。
 わたしはと言うと開いた雑誌を一ページも捲る事なく、呆然する事しかできなかった……。



「原 道則(ハラ ミチノリ)です! よろしくお願いします」

 わたしと理央、二人の気の抜けた拍手が鳴る。
 原はなんと追い出される事なく部に入る事が決まった。理央も悩む事なくOKを出したので相当気に入ったのだろう。
 理央の顔をいつもの様に盗み見る。その顔はどことなく嬉しそうである。わたしみたいな、なんちゃってじゃなくちゃんと話が合う人が来てくれて嬉しいのかもしれない……。
 わたしはと言うと……内心で天仰いでいた。
 ついに……来たのだと。

(祝福すべきことだよね……)

 まだどんな男か見定める必要はあるけど、理央が気にいったのなら段々と二人の機会を作ってあげた方がいいよね。とか適当な事を考えて、本心から目を反らす。

「夕月?」
「っ! ご、ごめん何?」

 キョトンとした表情の理央。

「いえ、帰りましょう、と言ったのだけれど……」
「あ、そ、そうだね。帰ろうか」

 気が付けば原君は帰っていた。
 その帰り道。普段なら理央と二人でいられる至福の時間なのに……今日は理央の声がどこか遠く、薄い膜を隔てた様に頭に入ってこない。

「具合が悪いの?」
「ん? 大丈夫。また明日ね」

 何か言いたげな理央に対して気が付かないフリをして逃げる様に自宅に帰るのだった。








 彼が部室に来てから数日。
 この数日は気が重かった。彼が仮入部で部室に来ていたからだ。ラブコメ君……原くんは正式に入部を認められ、すでに顧問にも入部届けを提出済み。
 今日から放課後は部室は理央と二人だけじゃなくなる。

「はぁ……」

 全く理央には落ち度はないけれど、なんとなく恨みがましい視線を黒髪が艶めく後頭部に向けてしまう。
 まぁ、原くんは別のクラスなのが救いか……。もし同じくクラスだったら……クラス内でも理央と交流が増える可能性があって……そうなったらわたしは発狂するかも……。
 でも理央が彼には抵抗なく接しているのはなんとも嫉妬してしまう。
 どんなに嫉妬しようとも意味はないのがまた虚しくもある。自分自身の感情がぐちゃぐちゃなのを自覚する。
 授業中であっても叫びだしたくなる、制御不能の心を握ったシャーペンに受け止めてもらうしかない。

「…………」

 自分の感情をなんとか持ち直し放課後。
 昨日まで待ち遠しかった放課後は今や時間になるのが憂鬱になってしまった。

「今までのなんちゃって車好きやVIPカーシャコタンの領域違いの男と違って、いわゆるスポーツカー系が好きな人でよかったわ。それに今まで分かる人が少なかった古い車も分かるし……いい人材ね」

 普段より若干テンションが高く嬉しそうな理央に相槌を打つ。

(そっかー……そんなに初めから好感度高いのかー……)

 いや……うん。仲良くなれそうならよかった。うん。
 わたしが内心死にかけているのを気にせず、原くんの評価をつらつらと話す理央にわたしは変な表情にならない様に務める。

「あ……」

 理央が何かに気が付いた様に、周囲を見回す。
 おそらく部室までの廊下に誰もいない事に気が付いたのだろう。
 その理由はわたしの手を握る事。理央は人前ではやらないが手を繋ぎたがる癖がある。昔我慢出来ずに誰でもやってしまうのかと聞いたら、幼い頃は家族とやっていて、今はわたしとだけであり子供ぽいからやめたいのだけれど、と苦笑していたのを思い出す。
 繋がれた手を見て一日中考えていた事も思い出す。
 男が苦手気味な理央が問題なく接しているのなら少なくとも嫌ってはないのだろう。

「理央の話について来られる人が来てくれてよかったよ」

 わたしの言葉に繋いだ手から僅かに力が加わる。

「勘違いしないで。夕月と居るのが詰まらないと言う訳じゃないわ。夕月は私の話をちゃんと聞いてくれるから……。二人だけでも全然苦痛じゃないわ」
「わかってる。でも理央も詳しく話せる人も居た方がいいでしょ? 部活なんだし……」

 わたしの言葉に少しだけホッとしたように表情を緩める理央。

「その……ここ最近、少し様子がおかしかったから……。原くんの入部には反対なのかと思って……」

 不味い……。態度に出てたか……。そんな事で理央に心配をかけていたなんて……。
 自分の不甲斐なさに内心歯噛みするけどやってしまった事はどうしょうもない。

「ううん、ちょっと新しい人が入る事に慣れなかっただけ。もう大丈夫だよ」
「夕月が嫌なら……」

 尚も心配そうな表情の理央を安心させるように笑顔を作る。

「本当に大丈夫。もう慣れたよ」
「ならいいのだけれど……」

 部活に熱心な生徒はすでに各々の部室に散らばり、活気のある声こそ聞こえるものの校内には人の姿が疎らと言う矛盾した廊下を理央と共に歩き、部室の前に到着した。
 部室の前では原君が所在なさげに待っている。部屋のカギを持っているのはわたし達だけなので仕方ない。
 原君の姿が見えたのと同時に自然に離される手を惜しく思いつつも、素直に離す。

「待たせてしまったかしら?」

 鞄からカギを取り出しながら理央が尋ねると原君が大仰に手を顔の前で振る。

「いえ! 全然です!」
「そう?」

 部室の鍵を開けながら理央が口元を隠して笑う。

「なんで敬語なのよ? 同級生でしょ」
「え? あ、そうですね。なんででしょう?」

 原君も今気づいたという様に頭を掻きながら不格好な笑みを浮かべた。
 部室が開き、理央が入ると外にはわたしと原君が残る。なぜかわたしの方を見て動かない。

「? 入らないの?」
「あ、いや、柊さんが先の方がいいかと思いまして……」

 わたしに気を使っているのだろうか? だとしたらなんの気づかいなのか……。

「なにそれ? 先に部活入ってたから立場が上とかそんな感じ?」

 顎で先に入る様に促すと、遠慮がちに先に部室に入る原君。そしてその後に続くわたし。
 わたしはいつもの席へ。理央もわたしの前に。つまりいつもの席に座る。

「原君は空いてる席へどうぞ。どこって決まってる訳じゃないけど……夕月も私も基本同じ場所に座ってしまうの」

 苦笑を浮かべる理央。どちらの席にも多少は自分の私物を置いてある。
 原君は……うん。困惑してる。理央の隣は気後れする。けどわたしの方は無言の圧力を掛けてるので気が引ける。そんなところか……。

「ん? どうしたの?」

 しばし固まったのち、原君は理央の隣に腰を下ろした。
 ……案外メンタルも強い男なのかも。

「…………………」
「何よ? どうしたの夕月?」
「……別に?」

 視線だけで人が殺せたらなぁ……。表情こそ出ないように努力したけど、視線の殺意まで緩めたつもはない。わたしの脳内では原君が唐突に崩れ落ちる瞬間を妄想する。
 でも現実はそんなに甘くない。原君は借りて来た猫の様に落ち着かない様子で椅子に座っているだけだ。
 まぁ、わたしみたいな奴の勝手な恋慕で原君が殺される道理はない。
 どうにもならない現実にから目を背ける様にわたしは手元のスマホを取り出す事にする。

「そうそう。今度開催されるモーターショーを部費で見に行ける事になっているの。もちろん部活動の一環だからレポートを作る必要があるけど……原君はどうする?」

 理央の言葉で目を輝かせる原君。

「部費で行ける!? まじか! 行きたい!」

 テンション高めに敬語も忘れて机から身を乗り出す原君に、呆れ顔ながらも嬉しそうな声色で理央。

「落ち着きなさい。でも分かるわ……。車好きには一大イベントだものね」

 うんうんと頷く理央。

「原君の意思はわかった。早速だけど私は先生に追加でチケットを取ってもらえるようにお願いしてくるから」

 席に着いたのもつかの間、早々に立ち上がり、部室を扉を開ける。けど殆ど廊下に体を出した状態からわたしに顔を向けた。

「夕月、原君に部室の事とか教えてあげて」
「ん……。了解」

 わたしが頷くと理央が苦笑する。

「それほど教える事がある部じゃないけど」

 肩を竦めて笑うとピシッと伸びた背中にさらさらと流れる黒髪を揺らしながら廊下の向こうへ消えた。

「……」
「……」

 うーむ。気まずい。
 するような世間話もないしな……。相変わらず原君は居心地が悪そうだけど知った事ではない。
 ひとまず理央の言いつけを守らないと。

「活動内容はこの前理央が完璧に説明して……別段言うことはないんだよな……。うーん。多分細かい事を説明しろって事なんだけど……他に聞きたい事とかある?」
「あ、いえ。大丈夫、です」
「わたしにも敬語じゃなくていいよ。理央も言ったけどわたし達は同級生だしね。えーと……」

 意識して彼と目を合わせない様に視線を棚に向ける。

「基本的に飾ってあるプラモとかミニカー、モデルカーとかは理央の私物。勝手に触らない方が賢明かな……。あ、雑誌も。とにかく棚とか机の備品以外はほぼ理央の私物だから」

 比較的開いた棚を見る。ここはわたしと理央で纏めた資料があるが比較的隙間が多い。彼のスペースを作れるだろう。

「君も自分の物を飾りたかったらこの棚を使っていいよ」

 取り出した資料は……まぁ、わたしの机に避難させておくか。

「あ、そうだ。君が副部長をやってよ」

 真面目に聞いていた原君が目を見開くのが滑稽で自然と笑みがこぼれた。

「え!? 柊さんじゃ!?」

 現状は確かに二人しかいないのでそうゆう事になるかもしれない。でももっと車の事に詳しい人が入って来たならその席は譲るべきだろう。

「別に決まってないよ。原君の方が自動車の事は詳しいし、適任だと思う。今まで二人だけだったから特に決めてなかったけどね。ま、気負わなくていいよ。多分理央が一人でやっちゃうし」

 理央の能力なら十分だ。
 まだ何か言いたげに言葉を探している原君をあえて無視し、話を続ける。

「あ、拒否権はないからね。わたしも車は嫌いじゃないけど……理央や君みたいに詳しい訳じゃないし」

 合えて大きく手を鳴らす。
 ビクッと肩を跳ねさせる原君。

「はい! 返事!」
「り、了解!」

 ちょうどその時理央が扉を開けて戻って来た。

「? 何かあったの?」

 笑顔で首を横に振る。

「ん? 部の事を教えてただけだよ」

 原君に近づき後ろから両手で肩をつかむ。

「理央。原君に副部長を頼んだから」

 わたしの言葉を聞いた理央が動きを止めた。

「は……?」

 作った笑顔のわたしと反対に理央の表情は無。完全な無そのもの。

「何……勝手な事を言ってるのよ?」
「車の事に全然詳しくないわたしより原君の方がいいでしょ?」
「私に相談もなしに?」
「うん」
「…………………」

 しばらく理央と見つめ合う。その瞳に静かな怒りが溢れかけているのが長年の付き合いで分かる。……ちょうどいいと思う。
 このままだとわたしは戻れない道に踏み込む。きっと我慢できずに言ってはいけない事をいう。ならば友達と言う場所を確保したい。そんな卑怯さから出た逃げの選択。
 どれだけ時間が経過したのか。いや実際には数分だ。

「そう。分かった。原君、いい?」

 わたしから顔を背け、原君に笑顔(たぶん)で確認を取った。

「あ、うん。俺はいいけど……」

 原君は後ろのわたしと理央を交互に見て……しかしすぐに諦めたように脱力した。
  


 翌日から理央との間には薄い、とても薄い極薄の板があるかのように、他の人にはわからないであろうぎこちなさがある。

「夕月、貴女もイベントには……行くわよね?」

 ここで行かないと言うと……絶対に怪しまる……ので予定通り行くことに。

「まぁ、特に予定もなから」
「了解」

 また前に向き直る理央。クラスは授業の合間であり、一つの授業が終わった解放感からか、非常に騒々しい。

「夕月」
「ん?」

 理央は依然前を向いたままなので、その表情は分からない。

「原君が来てから妙な行動が多い気がするけど?」

 流石と言うべきか。鋭い。

「気のせいだよ」
「そう…………」

 その声はわたしでも判断できない程、感情が乗っていなかった。いつものわたしなら理央の声ならどんな気持ちかぐらい分かるのに……。
 わたし自身の行動の結果がいつものわたし達を分からなくしていた。
 でも自然と元に戻っていく筈だ。
 理央と原君が付き合うことにでもなれば、わたしもちゃんと諦められる、ちゃんと友達として対応できる。
 実際、理央と原君は急速に仲を深めているようだ。『ようだ』というのはわたしが当事者ではないので、なんとなくそうなのだろうと言う感想だから。
 苦しい……。けれどきっとこの苦しみが過ぎれば……何も感じなくなる。
 そうなる頃には何も感じなくなって、苦しみもなくなるのだ。

「…………」

 ちらりと理央がこちらに目線を向けた気がしたけれど、それも気のせい。わたし自身が見せる縋りたい希望なんだろう。
 ただひたすらに耐える日々。長い様な、短かったような。
 気が付けば毎年一回の大規模モーターショーが明日に迫っていた……。



「今回は電気自動車が多いわ……」

 悔しそうにパンフレットを眺める理央。
 理央はバリバリのレシプロエンジン派なので、昨今のエコ路線とは全く正反対の方向へと突き進んでいるから、残念に思うのも仕方がない。

「……」

 わたしはパンプレットに夢中の理央をこっそり盗み見る。
 うん、美しい。完璧に深窓の令嬢スタイル。あぁ、その姿を拝見できるだけで、光栄の極みッ!
 そんな理央に対して……この男は……。
 待ち合わせ場所の会場前でめちゃくちゃ普通のTシャツにジーパンの原君を見て頭を覆う。
 こんな奴が理央にふさわしい……か?
 いやでも……変な恰好じゃないだけマシか?
 ぐぬぬぬ!

「……えーと。柊さんはどうしたんだろう?」
「いつもの事よ。全員揃ったなら中に入りましょう」

 …………。
 気が付くと会場内に居た。
 なんで?
 どうやら理央に手を引かれて会場入りしたみたいだ。
 しっかりと握られた手は人の波の間でも離れる事はない。

「ぼーっとしないで。人が多いのだから」
「ご、ごめん」

 理央と共に何度も来た事のある会場は活気がある。とはいえわたし達の様な歳頃の女子は珍しいのだろう、ちょこちょこ視線を向けられる。
 けれどそんな視線など、どこ吹く風。理央は自分の行きたいブースに迷わず歩き続ける。
 理央の話を聞くのは好きだが専門的な事が分かる訳もない。原君と話が盛り上がり出したら休憩スペースにでも避難しておくか……。
 なんて考えていて気が付く。

「! 理央、原君がいないけど!?」

 わたしが慌てて周囲に目を向けるけど、それらしい人は見当たらない。慌てるわたしに構わず理央はどんどん進んでしまう。そして涼しい顔でこう言った。

「あぁ、彼は別行動。時間が来たら集合するけど、まずは個人でも見たい物を見る事にしたの」

 理央に手を引かれながら会場の壁際に避難。確かに通行の邪魔になるからね。とか思っていたら壁と理央の間に挟まれたしまった……。
 ご丁寧にわたしの左右に手を付いて。

「別にいいでしょ? 夕月は平部員なんだから。部長と副部長で決めたの」
「そ、そうだね。確かに何も問題はないね」

 理央の決定なら何も問題はない。コクコクと首を振って頷く。
 わたしの答えに納得いったのか、気分を害したのか……無言のまま少し上になる理央と見つめ合う。
 数秒か、それとも数分以上か。彼女に惚れた人間としてその美しい瞳を向けられると、つい動きを止めてしまうのが、悲しい。その瞳はわたしの望む意味にはなりはしないから。
 実際には一瞬で、理央はすぐにわたしから目線を反らすと再び引きずる様に会場内を移動していく。
 会場内には様々な車が展示してある。基本は誰でも知っているメーカーの新車がメインだが、既存の車のチューニングカーも見られる。

「む! まさかあの旧車をあそこまで現代風に直すなんて」
「確かにレトロと現代のテクノロジーが合わさって唯一無二ぽい感じだねぇ」
「そう! 流石夕月。分かってるわ!」

 少しだけぎこちない気もしたけど、いつも通りに理央と会場を回る。あぁ、理央の笑顔は最高。
 お昼時になると原君が合流した。
 さてと、潮時だ。

「わたしは少し疲れたから、休憩スペースで待ってるよ。あとはお二人さんでごゆっくりと、ね」

 自販機で適当なジュースを買って簡易ベンチに腰を下ろして手を振る。

「…………そう。わかった。行きましょうか、原君」
「えっと……柊さんも来なくていいのか?」

 原君は理央とわたしと交互に見ながら困惑した声を出していたが理央は無言のまま暫くわたしに視線を向け、きっぱりと首を横に振った。

「疲れたのだがらしょうがないわ。行きましょ」

 とさっさと人込みに消えていった。
 原君は尚もこちらをちらちらと見ながらも理央の後を追う。

「何かあったら連絡してくれ」

 気は回る人のようだ。人込みに紛れて見えなくなった二人の方向をぼーっと見ながら、彼ならやっぱり理央と上手くいくかも、とわたしにとってどうでもいい事を考えていた。
 ただ……ひたすらに虚無な時間を過ごす。

(もう帰っていいかな……)

 原君が入部してからの理央は話を理解してくれる人が居てイキイキとしていたから、盛り上がっているのだろう。それならわたしは空気を読んでさっさと退散した方がいい。
 ポケットからスマホを取り出し、時計の数字を見つめる事数分。自分の中で決めた時間ぴったりで席を立つ。
 メッセージアプリを起動して、先に帰る旨を理央に伝えておく。理央の事だから先に帰るだけでは気を使うかも知れない。
 ならいっそここがいいタイミングかも……。
 メッセージを打つ指先が少しだけ震える。

『先に帰るよ。これからはわたしが付き合わなくても大丈夫だよね? 正直車の事は全然分からなくて……。もちろんこれからも部活でも資料作りとかは手伝っていくけど、イベントとかは原君が居れば十分でだよね? 今後わたしは欠席って事で。じゃ、今日はお疲れ様。また明日学校でね』

 相手に送信。
 メッセージアプリのメッセージは取り消すこともできる。自分の意思が弱気に負けて、メッセージを削除しないように乱雑にポケットにスマホを突っ込み、会場を出る。
 たぶん理央はわたしが『迷惑』と取れるメッセージを送った以上は今後無理やり付き合わせるような事はしない人だ。
 そうして少しづつただ友達の距離になっていくのだろう。
 想像して目頭が震える。わたしは涙なんか流す事はほぼないのに……。
 すれ違う人にぎょっとさせてしまい申し訳なく思いながら、意識して頭の中を無にして家に帰った…………。


 家にたどり着いてからただぼんやりと明日からどうするかなぁと益体もない事を考える。

(どうするもなにもないけどね……。明日からも変わらない。わたしは普通の友達として理央とこれからは付き合っていく)

 できれば理央が結婚したって付き合える友人でいたい。

(あぁ……でもやっぱり子供とか出来ると付き合いが減るのかも……。理央の子供……想像でもかわいいすぎる)

 でも他の男との子供なんて見たくもないという……。
 連鎖して子供が出来る際に必要な事を理央が知らない男としている場面を想像して身近にあったクッションを殴りつける。
 2、3発なぐってがっくりと力が抜けた。
 情緒不安定すぎでしょ……。
 さっさと寝るべき。自分自身の呟きに従いベットに力なく倒れこんだ。

(いいじゃない。友人として傍に居られるのは……。拒否される怖さから逃げてたんだから……当然それ以上の立ち位置に行けるはずもないよね?)

 わーかってるよ。
 一人だとついついいらん事を考えてしまう。
 今度こそぐだぐだ言う自分自身を意識から外して、眠りつくのだった。


 鼻先で振動する何かに意識を浮上させられる。

「んぇ!?」

 意識が戻れば外からけたたましいエンジン音がしている事に気が付いた。
 口元にべったりと付いたよだれを袖で拭う。どうやら鼻先に当たったのは放り投げたスマホが振動して動き、鼻に当たったらしい。
 それにしても外からご近所迷惑待ったなしのエンジン音。

「理央?」

 このやたらとでかい音には聞き覚えがある。理央のバイクである。
 学校に内緒で中型二輪(50cc以上のバイクに乗るには必要)の免許取得と同時に冬月家の倉庫から拝借している理央のバイクの音。
 なんで、と困惑していると何度もスマホが振動している事に気が付いて、慌てて手に取ると通話を知らせる表示と、隅っこに大量の不在着信のお知らせ。
 振動を続けるスマホに急かされる様に通話をタッチした。

「今すぐ外に出なさい!」

 鋭い理央の声と共に速攻で切れれてしまった。
 未だに混乱した頭のまま、素直に家の外に向かうわたしの足。頭は何故やどうしてと疑問が沸いていても、体は理央の言葉に素直に従ってしまうようで、すいすいと玄関へとたどり着く。
 家の前には睨む様に理央が立っていた。
 いやように……ではなく実際強く睨みつけられている。気の弱い人なら失神するかも……。
 それにしても何で? 勝手に帰った事を怒りにきたのだろうか?
 わたしが動けないでいると、ずんずんと距離を詰めてきたかと思うと強引にヘルメットを被せられる。

「ち、ちょっと?」
「乗って!」

 理央の有無を言わせない迫力に無抵抗でバイクの後ろに跨った。

「ちゃんと私の腰に手を回して、離さないで!」

 急発進気味に進みだしたバイク。慌ててしっかりと理央の腰に手を回して抱き着くように掴まる。
 何度か理央のバイクには乗せてもらったので乗り方自体は分かっていて、怖さもない。けど何も説明されずどこにいくのかと言う不安はある。
 法定速度は守っているのだろうが、バイクの後ろと言うのは結構スピード感がある。事情を説明して欲しいけど、風とエンジン音で声は届かないだろうし、何よりも理央自身がわたしの話を聞かない様にしているのか、全然振り向かない。
 もやもやした気持ちのまま長く感じるドライブは終わりを迎える。
 ついた先は……理央の家の前だった。立派な門構え、古くは武家屋敷だったか……。
 真正面に立つと威圧感がある。
 理央はバイクを門の脇に止めると再びわたしの腕を取った。

「り、理央! いい加減、せつ――」

 わたしの抗議を無視してどんどん歩いていく。抵抗を諦めたわたしは理央に引かれるまま冬月家の中へ。けれど大きな玄関へは行かず、横へと逸れる。
 どうやら庭へと直行するようだ。
 綺麗に整えられた芝生を通過して奥へ。建物沿う様に曲がって行く。

「あ……」

 そこは車庫と庭の境界線。今の時代の車ではないと一目で分かる車が佇んでいた。幅広いボディは真っ白で、横に広い。ヘッドライトが見当たらないのは、確かリトラクタブルライトと言う機構の為、今は収納されているからだろう。間違いなく理央の欲しがっていた車だ。
 もう用意してあるのか、このお嬢様め……。
 と呆れちょっと、流石理央、と感心90%。冬月のじい様……一体いくら掛けたんだろう。
 わたしが車をぼんやりと眺めていると理央は右のドアを開けた。

「乗って」
「えぇ?」
「いいから!」

 全く理央の意図が読めず、困惑するばかりだが大人しく乗り込む。左ハンドルなので乗り込んだ先にはステアリングはない。
 少し遅れて理央が横に乗り込む。流石、名だたるスポーツカー。乗っている人の事はあまり考慮されていはいないので、二人乗れば手狭だ。

「…………」
「…………」

 しばらく無言のまま静かな時間が流れる。エンジンの掛かってない車の車内と言うのは意外に静かで理央の息遣いすらうっすらとだが聞こえる。
 こちらから何か言うべきかと理央の方へと視線を向けた時だった。
 ステアリングに頭を寄りかからせて、絞り出す様に理央が呟く。

「……なんで?」
「?」

 理央の言っている意味が分からなくて小さく首を傾げた。
 いつもと全然違う理央の様子に心配になったわたしは肩に手を伸ばしかけたが、理央がバッと伏せていた顔を上げ、わたしと視線が合う。

「どうして! どうして最近になって私に冷たくするの? メッセージ読んだわ……。ずっと嫌だった? 無理して私の話を聞いてくれてたの?」

 上げられた顔は普段の大人びたクールな表情ではなく、まるで置き去りにされた小さな子供の様で……思わず息を飲んでしまった。

「誰に何を言われても気にしない。けれど……貴女だけは……! 貴女が居なくなるのは耐えられない!」

 うっすらと瞳に溜まった瞳を見て……理央に申し訳ない気持ちになる。だけど……。

「ごめん……でも大丈夫だよ。離れたりしない」

 半身だけこちらに向いた理央の手に自分の手を重ねる。

「ごめん。勘違いさせるような事言って。ただわたしは……」

 一度唾液を飲み込む。しっかりと笑顔を作らないと。

「最近原君といい感じだったでしょ? 理央と趣味も合うし、お似合いだと思ったから……二人っきりになる機会があった方がいいと思って……」

 正直理央と目を合わせる事ができなかった。少しだけ目線を反らしてシフトノブを見つめる。

「…………嘘よ」
「ッ!?」

 はっきりと、鋭い理央の声に思わず俯き気味だった顔を上げてしまう。
 そこには瞳を濡らしながらもわたしの顔を反らせない意思をはっきりと宿した理央。

「夕月の嘘ぐらいお見通し」

 気まずさから手を放そうとした手を逆に繋がれて……強引に引き離す事も出来ないわたしは固まってしまう。

「……彼とは確かに話が弾む。けど……その事で夕月が離れるのなら、彼には部を辞めてもらうわ。私は夕月が……夕月が好きなの! 恋人になってほしいって思ってる!」
「!?」

 理央の言葉に時間が止まってしまった様に思考が停止する。
 そんなわたしをどう思ったのか、顔を伏せる理央。

「ずっと……貴女の事を想っていたの。でも……受け入れられる訳ないって……。ならせめて友人としてずっと傍に居ようって……思っていたのに……夕月が私から離れてしまうぐらいならっ!」

 ぽたぽたと静かに理央の頬を流れる涙。あぁ、わたしと同じように辛い想いをさせていたのか……。

「わたしも理央が好き」

 繋がれた手に力を込めて、理央の顔から目を反らさず、はっきりと言葉する。狭いわたし達だけの空間。
 弾かれた様に俯き気味だった理央と目が合う。この車に乗って、はっきりとお互いの視線が合ったのはこれが初めてかもしれない。

「わたしはずっと理央が好きだったの。でも……女同士だし、上手くいく訳ないって。そもそも受け入れてくれる訳ないって……諦めてた。告白して気まずくなるぐらいならずっと友達として傍に居たいって……」

 理央の瞳がどんどん大きく見開かれていく。そして繋がった手に力が籠る。
 はらはらと涙を流しながらも理央は微笑む。繋がれた理央とわたしの手に熱い液体が落ちる。たぶんわたしも泣いているのだろう。

「もっと早く言えばよかったわ」
「それはわたしの方だよ。ごめんね、わたしに勇気がなかったばかりに……辛い思いをさせてしまって……」

 片手で理央の頬に流れる涙をぬぐう。

「こればっかりは……お互い様ね」

 あぁ、まさか理央と両想いなんて。心が付いて来ない。混乱した頭はわたしの意思から離れて勝手に口を動かし始める。

「理央……綺麗。とにかくどんな理央でも大好きで溜まらなかった。原君が来た時、内心憎くてしょうがなかったんだ。理央を独り占めできればどれだけいいだろうっていつも思ってた」

 わたしの言葉にみるみる赤くなっていく理央。

「理央、大好き。キスしていい?」

 自分をぶん殴りたい。そしてよく言ったと喝采したい。でもやっぱり何言ってんだってぶん殴りたい。

「……いいわ」

 そっと瞳を閉じる理央。
 あぁ、あぁ。今、わたしは……この世界で一番幸せだ。
 わたしはそっと理央に顔を近づけるのだった。













エピローグ

 甘美、歓喜、あぁ、ここが天国かッ!
 理央とはじめてキスしてから、再び沈黙が車内を支配しているけれど、今は苦しくなんてない。
 むしろ人生最高の時間。

「…………」
「…………」

 理央はすっかり赤くなって顔を背ける様に車の窓から外を眺めている。でも見えるのは見慣れた自宅だろうに……。

「その……悩ませてごめん。これから……まぁ色々問題とかあると思う。だけどもう理央と一緒に居る事を諦めないから……」

 わたしの精一杯の宣言にゆっくりとこちらに顔を向けてくれる。

「……今の言葉……忘れないでいてもいい?」

 頷く。

「もちろん。絶対に」

 再び無垢な笑みをで頷く理央。

「夕月が変な態度取るから……無理やり連れてきちゃったわ」
「うん?」

 ばつが悪そうに口元を手で覆う理央。

「この車、ツーシーターでしょ? 絶対免許取って夕月を初めに乗せたいと思ってたの。だけど夕月がよそよそしくなって、せめて一緒に乗りたいって……。感情がぐちゃぐちゃになって気づいてたら単車に乗って夕月の家の前に来ていたわ」

 思わずキョトンと頭が動かなくなる。でもすぐに再起動して苦笑と共に気にしないでと呟く。そのままドアに肘をついて前を向く。
 車は当然動いていないので景色は全く変わらない。

「わたしは理央の車に乗る事はないと思ってたよ。この車は理央の言う通り二人乗りだからさ……。恋人とかと乗るんだろなぁて。そうしたらわたしの乗る場所はないなって。考えたら悲しくて。ならいっそ、わたしが認められる人がいいなぁて原君を、さ」

 わたしの言わんとした事が分かったのか、呆れる様にため息を吐かれてしまった。そして何を思ったのか、キーを回しエンジンを掛ける。
 途端に背後からけたたましい爆音と共に理央の愛車は目を覚ました。

「もういいわ。これからは……夕月の願い通り、私の願い通り。二人で色々行くことができるんだから」

 防音性なんて皆無なので会話は大声を出さないといけない。なのでエンジン音に負けない様に声を張る理央にわたしも大きく頷いた。

「道案内は任せてよ!」

 それから少しだけ冬月邸内を理央の運転で回った。
 きっとすぐにサーキットとか行きたいと言い出すに違いない。そしてわたしはどこでも喜んでついていくのだ。




「そのぅ……と、いう訳なんだ」

 色々間に挟んで巻き込んでしまった原君にきっちり説明すべきと理央にお叱りを受けてしまったので、後日部室で事のあらましを説明した。

「……うん。わかってた」

 じゃっかん瞳に覇気がない原君は無均質な声で頷く。
 分かられてた! 思わず顔を両手で覆う。

「いつも大体お二人の世界だし……。それに、さ。俺は冬月さんとは話の合う友達だけど、好きなものが同じ故に話が深くなっていくと対立するんだよな……」

 思わず、と言った具合で苦笑する原君。わたしの隣の理央もうんうんと頷いている。

「後……俺好きな人がいるから!」

 赤くなった自分の顔を手で仰ぐ原君には言わなくていい事言わせてしまい申し訳ない事をした。

「ま、なんにせよ二人がまた仲良くなってよかったよ」

 笑顔で祝福してくれる。くっ、原! いい奴!

「はッ! まさか二人の邪魔だから部から出てけって話か!?」

 絶望顔の原君に慌てて首を横に振る。

「いやいや! そんな訳ないから!」
「そうよ、原君は我が部の貴重な戦力。引き続き副部長として頑張ってもらうわ。なんならヒラ部員の夕月をこき使ってちょうだい」

 理央の相手候補だったので、わたしの態度は必然的に悪かった。なので罪滅ぼしに雑務ぐらいなんでもない。

「……部を出ていかなくてよかったけど……俺の前でいちゃ付くのはなるべく控えてくれ……。机の下で手繋いでそわそわしてるの分かってるからな……」

 半目でジト目の原君の指摘に慌てて理央の手を放す。
 ば、バレていたか!
 理央は理央で吹けない口笛なんか吹いてそっぽを向いている。

「部活中はいちゃいちゃ禁止だ!」

 原君の宣言にわたしと理央は盛大に悲鳴を上げたのだった。