【投稿サンプル】『シロソラ』第2章/運営投稿

 僕らが通う紅葉ヶ丘西中学校には、くだらない七不思議の噂がある。けれどそんなものは、入学から一年も経たないうちにただの噂に過ぎないということを理解し、記憶の片隅へと追いやられてしまう程度のものだ。
 まして受験を控えた三年生ともなれば、どれだけお喋りな女子の口からだって、七不思議なんて言葉が出てくることはない。
 ……ないはずだった。
 ところが秋も深まる放課後、真崎が帰り支度をしている僕とシロにこんなことを尋ねてきたんだ。

 真崎「よーソラシロ」
 ソラ「真崎、セットで呼ぶのやめてよ」
 シロ「……」
 真崎「いーじゃねーの。おまえらいつも一緒にいるし。もう付き合ってんの?」
 ソラ「友達だよ」

 シロが真崎から距離を取るように、すすっと僕の背中に隠れた。
 転入からしばらくして気がついたんだけれど、彼女はとても恥ずかしがり屋だ。男子はもちろん、女子とだって必要最低限の連絡事項くらいしか話していない。
 僕以外には、だけど。
 そのおかげか、転入当初は休み時間になるたびに、その美貌からすぐにクラスの男子に囲まれていた彼女だったが、いまはそんなこともなくなった。
 で、お決まりのように僕の席の近くにやってきて、特に何も喋ることがなくても側にいる。僕自身も真崎以外とはそれほど喋る方じゃなかったから、結果として、シロと一緒に行動する機会が増えた。
 それに、僕はシロに定期的にヒトゲノムを渡す役割もあるからね。
 ちなみに真崎は無神経を地で行く男なので、無視されようが怯えられようが、まるで気にしない。陽キャってやつで、悪気なくグイグイくるんだ。

 真崎「なあ、うちの学校の怪談っておぼえてるか? ほら、俺らが入学したばっかの頃は、よく噂になってたろ?」
 ソラ「あー。懐かしいね。なんかそんなのあったね」
 シロ「……知らない。転入生だから……」

 珍しくシロも応えた。

 真崎「だよな。誰かおぼえてるやついねえかなあ」
 ソラ「なんでいまさら? 僕らは三年で、季節は秋だ」
 真崎「いやそれがな、バスケ部女子の間で学年問わずの妙ぅ~な噂が広がってんだ」
 ソラ「部活はもう引退したんだろ?」

 基本的に受験を控えた三年生の部活は、夏休み明けで引退だ。

 真崎「ああ。それがよぉ、休み時間に相談されちまったんだ」
 ソラ「女バスから? あいからわずモテるね」
 真崎「そうじゃなく。話が話だけにだ。学校の怪談な。女子だけじゃ怖かったんだろ」

 それでも現役の男バス部員ではなく、引退済みの先輩にわざわざ話を持ってくるあたり、頼られる存在であったことだけはたしかだ。
 真崎は無神経だからまったく気づいてないだろうけど。

 ソラ「どんな相談だったの?」
 真崎「それなんだけど、部活を終えた日暮れに、女バスの一年と二年の掃除係が体育館の掃除をしてたら、両腕を足のように使って、上半身だけで走り回るクリーチャーみたいなバケモノを見ちまったんだとさ」
 シロ「……へあ!?」」

 ドサ、と背後で音がした。
 どうやらシロが自分の鞄を足下に落としてしまったらしい。教室の床には、シロの教科書やノートが散乱している。

 真崎「あ、悪ィ。白堂はこういう話、苦手だっけ?」

 シロの目が泳いでいた。みるみるうちに耳が赤く染まっていく。

 真崎「まあいいや。知らねえなら新聞部にでもあたってみるわ」
 ソラ「うん。手伝えることがあるなら言って」
 真崎「さんきゅー」

 真崎が教室から去っていった。
 それをばっちり見送ってから、僕はシロを振り返る。

 シロ「あぁん、ソラァ~……」
 ソラ「あ、やっぱり?」

 僕にはシロの態度の理由が手に取るようにわかった。クリーチャーなんてもんが、いまさらこの日本で見つかるわけがないんだ。それこそアマゾン奥地とかでもなければね。

 ソラ「文太郎さんの?」
 シロ「たぶん……」

 シロの父親。白堂文太郎氏は控えめに言ってマッドサイエンティストだ。本気かどうかはわからないけれど、RPGで見るようなドラゴンを遺伝子操作で生み出し、日本転覆をもくろんでいる痛いおじさんなんだ。
 実際に、広大な土地を有する白堂家の庭園には、ドーベルマンならぬ、遺伝子操作で生み出された様々な魔物が解き放たれている。
 真崎の言ったクリーチャーがなんなのかはわからないけれど、もしも現代日本でクリーチャーなるものが発見されたとするならば、十中八九、原産地は白堂家だろう。

 僕らは取り急ぎ、白堂家へと走った。
 シロがカードスロットにカードを通し、大きな木製門を開く。魔物が外に出ないように注意を払いながら門を閉ざし、先日同様にわけのわからないクリーチャーの襲撃を避けながら玄関へと辿りつく。
 早速、文太郎氏が猛烈な勢いで走ってきて、両腕を広げながらシロへと飛びかかった。

 文太郎「おかえり! マ~イスウィート・シロちゃ~~――ゲボォ!」

 シロは文太郎氏の腹へと拳を突き入れ、睨み上げる。

 シロ「お父さん!」
 文太郎「は、はい……」

 毎度思う。
 この親子のコミュニケーションは独特だ。

 僕らは学校での噂を白堂文太郎氏に話した。

 文太郎「知らん。まあ生き物のすることだし? 一匹くらい壁を乗り越えて逃げるやつもいるんじゃない? いいじゃん? 見つかったらまた引っ越せばいいだけだし?」
 シロ「お父さんのバカァ!」

 シロが玄関から飛び出していった。
 僕はそれを追いかけようとして思いとどまり、自分の髪の毛を数本引き抜き、文太郎氏に渡した。
 シロのヒトゲノムを安定させるため、僕は文太郎氏に自分のゲノムをこうして渡しているんだ。

 ソラ「文太郎さん。今日の分です。シロのために使ってください」
 文太郎「……ちっ!」

 すごく嫌そうな顔で舌打ちをされた。けれども文太郎氏は、僕の髪の毛だけはしっかりと受け取って。

 文太郎「我が愛しの娘に集る羽虫の一匹風情が。シロにゲノムを少しばかり与えているからといって、自分は特別だなどと勘違いをするんじゃあ――あ、ちょっと、ねえ、聞いて? お~い、ソラく~んっ?」

 髪の毛を押しつけて僕もすぐに玄関から飛び出したから、文太郎さんの世迷い言を聞きそびれてしまった。
 この白堂邸の庭園というか森で、ただの人間である僕がシロから離れたら大変だ。ありとあらゆる魔物が襲いかかってくる。
 けれど大したもんで、シロはどうやらこの白堂邸庭園の生態系ではトップに位置するらしく、彼女に襲いかかってくる魔物はほとんどいないのだ。……たまにはいるけど。
 走る彼女の背中を追いかけて、僕は門のところでようやくシロに追いついた。

 シロ「ソラァ~……。わたし、引っ越し、もうヤダ」
 ソラ「そんな顔しなくたって手伝うってば。僕らでそのクリーチャーってやつを捕まえて、ここに連れ戻そう」

 僕としてもせっかく再会できた幼馴染みが、またいなくなってしまうのは寂しい。

 シロ「ありがと!」

 僕らは白堂家を出て、まず最初に広大な敷地を囲む壁沿いを調べた。古い建造物だからひび割れなんかはいっぱいあったけれど、魔物が脱走しそうなほどの穴は――。

 シロ「あった、これだ!」
 ソラ「あ~。ほんとだ。ぽっかり空いてるね」

 電柱の影に隠れてはいたけれど、外壁に小さな穴があった。僕やシロでも通るのは難しそうな大きさだけれど、中型犬くらいの大きさなら通ってしまいそうだ。
 逆に言えば、中型犬程度の大きさの魔物であれば、大きな被害は出なさそうだ。何せ白堂邸には、大型犬程度では済まされないほどの大きさの魔物もいるからね。キマイラとかマンティコアとか。
 とはいえ、いくら中型犬規模でも誰かが噛まれたりしたら大変だ。そうなってしまったらシロや文太郎さんもこの街にはいられなくなる。
 早く連れ戻さないと。

 僕らは外壁の穴をそこらに落ちていた板きれと石でとりあえず塞ぐと、すぐさま紅葉ヶ丘西中学校へと引き返した。
 秋の夕暮れは早い。修繕に時間がかかってしまったせいで、もうすっかり日は暮れていた。まだ校門まで辿り着いていないけれど、部活帰りの生徒たちでさえ、もう誰も見かけない。

 ソラ「もう八時前か~」
 シロ「ごめんね」
 ソラ「大丈夫だよ。うち、放任主義だから」
 シロ「えへへ、知ってる。懐かしいね。おばさん元気?」
 ソラ「そっか。そうだった。元気だよ」
 ???「お、シロソラじゃん」

 呼ばれて振り返ると、そこにはコンビニ袋をぶら下げた真崎がいた。

 ソラ「真崎。何やってんの、こんな時間に」
 真崎「そりゃこっちの台詞なんだが。子供はもう飯食って寝る時間だぞ」
 ソラ「同い年だろ。てかこんな時間から寝てたら年寄りだよ」

 元バスケ部の真崎は背が高く、僕は男子の中ではかなり小さい方だ。シロは女子の平均より少し低いくらいだろうか。
 どうやら真崎もまた、女バス部員を恐れさせている例のクリーチャーを調べにきたらしい。けれど、実はそれだけじゃなくて。

 真崎「別の女バス部員から連絡がきてな。俺に相談持ちかけてた奈々那が寮に帰ってないんだそうだ。部活の最中にいたのはたしかで、鍵当番だったらしく、奈々那だけが残ってみんな帰ったあと、行方がわからなくなったんだとよ」
 シロ「それはちょっと心配だね」
 ソラ「どこかに寄り道してるだけとかじゃなく?」
 真崎「どうかねえ。スマホにかけても繋がらねえし、帰ってきたら俺に連絡がくるはずなんだが、ちょっと気になってな」

 寄り道の線も消えてはいない。

 ソラ「真崎はお人好しだなあ。そんなことより、自分の受験勉強はいいの?」
 真崎「言ってなかったっけ? 俺スポ推だから。おまえは?」
 ソラ「ふ、ふふ……。……がんばる……」
 シロ「がんばって、ソラ! わからないとこ教える!」

 シロはどうやら成績がよいらしい。半猫なのに。僕だけ哀しいね。

 真崎「にしても、俺は女バスのことがあったからきたんだが、おまえらはなんでこんな時間から学校に?」
 ソラ「僕らもそのことを調べにきたんだ。気になることがあってさ」
 真崎「なんで?」
 ソラ「……なんでってそりゃ……あ……」

 言えないんだった。白堂家の事情を話すわけにはいかない。
 シロがしどろもどろに応える。

 シロ「そ、そそれは、ソ、ソラがほら、ね? オカルト好きなんだよね? ね?」
 ソラ「えええええ? 僕が? 僕がオカルト好きだから、らしい……?」
 真崎「え? そーなん? 付き合い三年で初めて知ったわ」
 シロ「く、黒猫とか鴉とか、あと鶏の首とかも好きだもんね、ソラ!?」
 ソラ「えっ!? ええ~……うん……うん? まあ、焼き鳥のせせりはたしかにおいしいけど……。でも、白い動物も好きだよ?」
 シロ「わた――!? う?」

 なぜかシロが絶句すると、真崎が大声で笑った。

 真崎「はっはっは! まあいいや! どうせ退屈な調査になると思ってたけど、おまえらがいるならちょっとは楽しくなりそうだ。それに――」

 真崎がシロをチラっと見る。

 真崎「白堂は、初めてまともに喋ってくれたしなっ」
 シロ「……う……、そ……だっけ……?」
 真崎「いっつもソラの後ろに隠れちまってたじゃん? クラスの男子連中、みんな白堂と仲良くなりてえのに、ソラとばっか連んでるって嘆いてたぜ! あっはっは!」
 シロ「ぅ……ぅぅ……」

 シロの目が泳いだ。
 もしかしたら、昔いじめられた記憶があるから男子が怖いのかもしれない。でもまあ、真崎なら大丈夫だ。
 真崎は、よく言えば素直。悪く言えば無神経。
 でも、総合していいやつだ。モテるのもうなずける。

 真崎「はっはっは! 気にすんな! なんせ俺ぁ気にしてねえ! んじゃ行こうぜ!」

 真崎がズカズカと歩き出す。夜の学校へと向けてだ。
 校門はすでに閉ざされていた。

 真崎「そらそーよな。よっこらせっと」

 真崎はなんの迷いもなく門に両手をついて乗り越える。続いてシロが、手さえつかずにピョンとジャンプして門の上に立ち、ヒョイと飛び降りた。

 真崎「びびるわ。どういう運動神経だよ。女バスのやつらよか跳べてるじゃねえの」

 僕は普通の人間だから、よじ登って越える。
 どんくさい僕が落ちないようにだろうか、シロがあわあわと門の下でうろついていたのが情けない。

 真崎「んじゃ、どうすっか。あ、そーだ。これ見てくれ。放課後に新聞部のやつに教えてもらった七不思議なんだが」

 真崎がポケットから一枚の紙を取り出した。

 ①音楽室の目が光るベートーベン
 ②無人の音楽室のピアノが鳴る
 ③旧校舎四階トイレの花男・花子さん
 ④西校舎屋上への階段が増える
 ⑤廊下を飛ぶ人魂
 ⑥廊下を走るテケテケしたやつ
 ⑦???

 真崎「とりあえずこんだけ当たりゃ、どれかヒットするだろ」
 ソラ「そうだね。手がかりないよりマシだ」
 シロ「⑦はないの? 七つ目がないのが不思議~とか?」
 真崎「や、そういうんじゃなくて、新聞部のやつも知らねえんだとさ」
 ソラ「じゃあ残り六つを潰していこうか。どうする? 三人で回ってく?」
 真崎「手分けでもいいぜ。白堂が怖くねえならだけど」
 ソラ「僕は?」
 真崎「はあ? 怖えの? おまえオカルトマニアなんだろ?」

 あっちゃ~、オカマニ信じちゃってるよ……。

 ソラ「まあ、別にいいけど」
 シロ「わたしもいいよ」

 シロは実家の事情でクリーチャーに慣れてるからね。僕はまかり間違ってもクリーチャーには見つからないようにしないとだ。真崎ほどの運動神経もないし、シロくらい鋭い爪も持ってないし。

 真崎「んじゃ内訳は、音楽室の二つは俺。トイレは白堂で、屋上への階段はソラな。人魂とテケテケしたやつは、まあ適当に歩いてりゃって感じで」
 ソラ「冷めた肝試しだね」
 シロ「人生そんなもんだよ、ソラ」

 まあ、僕らは騒動の犯人に目星がついているからだけれど。

 真崎「じゃ、八時にここに集合な。戻ったら飯にしようぜ」

 真崎はコンビニ袋を持ち上げてそう言った。
 適当に解散して、僕はぶらぶらと西校舎の屋上を目指す。校舎内はほとんど真っ暗だけれど、窓から射し込む月光のおかげでかろうじて見える。
 灯りをつけたいところだけど、そんなことをしたら当直の教師にすぐに見つかってしまうだろう。受験を控えた僕らにとっては、肝試し的なことよりも、そっちの方がずっと大きな問題だ。
 そんなことを考えながら西校舎を歩いていると、東校舎に白い光が浮いているのを見た。僕は窓に張り付いて目を凝らす。

 ソラ「んんん……?」

 人魂の正体見たりだ。見間違えようもないくらい、当直の教師だ。懐中電灯を手に見回りをしているのだろう。ジャージだから体育教師かもしれない。見つかると厄介だ。
 僕は身を屈めて歩き、廊下の端の階段を上がった。ここは四階だから、これが屋上へと続く例の階段だ。

 ソラ「一段、二段、三段、四段……あ!」

 いや、そもそもだ。そもそも学校のこの階段って何段あんの? 適当に数えたってプラス一段されてるかわからないじゃないか。
 真崎がそんな細かいことを知っているわけがないし、シロに至っては転入してきたばかりだから屋上に上がったことさえないかもしれない。
 なんだっけか。
 一階あたりの高さと、階段の踏面と蹴上の幅を計算すると、大体十三段になるとどこかで聞いた気がするが、さすがにうろ覚え知識で数えるわけにも。

 ソラ「はぁ~。仕方ない」

 迷ったあげく、僕は三階と四階の階段へと引き返して、その段数を数えて比べることにした。結果的に、何も変わってないことがわかった。

 ソラ「結局十三段だ」

 屋上への扉は鍵が閉ざされている。別に出たからといって何があるわけでもないけれども。四階へ下りるときも数えたけれど、やっぱり十三段だった。

 ソラ「……戻ろ」

 で、八時になったわけだが――。
 僕らは再び集合場所に戻ってきた。真崎が買ってきたコンビニおにぎりを一つずつもらって、食べながら調査報告をする。

 真崎「音楽室だが、ベートーベンの肖像画の目が光る理由がわかった。画鋲だ。ひでえことしやがるぜ」
 ソラ「ま、そんなもんだよね」
 真崎「ベートーベンが気の毒だから、抜いて鼻に刺し換えてやった」
 シロ「……へえ、優しい……」
 真崎「だっろー!?」

 そうかな?

 真崎「鳴るピアノだが、鳴らなかった。んでも、ピアノの底にこんなもんがテープで貼り付けられてた」

 真崎がガラケーをポケットから取り出した。かなり古い型だ。折りたたみ式ですらないのだから、もはや骨董品レベルだろう。もちろん、電源を入れても入らない。

 真崎「たぶん、かなり以前の卒業生がやった悪戯だろうな。いらなくなった携帯をアラームにして、深夜に音を出すようにしてたんだろ。そのしょぼい音源を聴いた当直が他の誰かに話し、数十年の時を経て怪談になった。ま、そんなとこだ」
 ソラ「よくそんなの見つけたな」

 真崎が食べかけのツナマヨおにぎりを持ち上げて見せた。

 真崎「調べてる最中に、ピアノの下におむすびころりんってな」
 シロ「ぐーぜんなんだ……。じゃあ次はわたし。花子さんいなかったよ。そもそも鍵掛かってる個室なんて、掃除用具入れだけだったもん」
 真崎「花男は?」
 シロ「……う……」

 花男くんは旧校舎四階男子トイレのヌシだ。花子さんにフラれたショックでトイレにヒキコモリ、ついに行方不明になったのだとか。というのはいま僕が考えた彼のエピソードだ。

 真崎「男子トイレだから?」

 シロが恥ずかしそうに頬を染めてうつむく。

 シロ「い、いなかった……」
 真崎「ほんとにちゃんと見た? 恥ずかしいから見てないとかはダメだぜ?」
 シロ「いなかったっ!! 入ったよ! 入りました! 個室も開けた! 生まれて初めて入ったよ! 男の子のトイレに! 悪い? あとそれ、セクハラだからねっ!?」

 怒っていらっしゃる。もう一部の教室しか使われていない旧校舎なんだし、そこまで恥ずかしがることないだろうに。
 それに、僕や真崎が女子トイレに入るよりは、まだ現代日本では社会的に許されるだろう。うん。

 真崎「ならヨシ!」
 シロ「む~!」
 ソラ「次は僕だね。階段は十三段だった。他の階段の段数と比べたけど、もちろん増えてなかった。全部十三段で統一されてる」
 真崎「まあ、そんなもんだわな」
 ソラ「あと、ついでに人魂も見つけたけど、あれはたぶん当直の先生の懐中電灯だ。ジャージの腕が見えたから、見つからないようにしなきゃね」
 シロ「ロマンがないね」

 真崎がおにぎりを食べ終えて、僕らの分のゴミまで受け取って袋にまとめてくれた。

 真崎「結局異常ナシだな。奈々那もいねえし。ああ、けど小さな影なら見たぜ。猫かなんかかなぁーと思ったんだが、ちょうど人間の上半身くらいの大きさだったから、あいつが噂のテケテケしたやつだったのかもなあ」
 シロ「――どこにいたのっ!?」
 ソラ「――どっちいったっ!?」

 僕らの食いつきに、真崎がちょっと驚いて顔を引き攣らせる。

 真崎「なんだその食いつき。東校舎の二階から階段駆け上がってたぞ」
 ソラ「なんで捕まえないんだよっ!」
 真崎「あんなもん飼いたいのか? 簡単に生き物拾っちゃだめだぞ。最後まで世話できんのか?」
 ソラ「飼わないけど、そこは逃がしちゃだめだろ!」
 真崎「ええ……?」
 シロ「マサキチの役立たずーっ!」
 真崎「ええぇぇぇ……?」

 僕らはそれを捕まえにきたんだ。
 僕とシロは目配せをすると、東校舎へと走り出した。

 真崎「お~い、俺はもうちょい奈々那を捜してるからなー?」
 ソラ「わかったー」

 東校舎の二階を見回しながら走り、三階の階段を駆け上がる。三階にもいない。僕らは屋上へと続く階段を駆け上がっていく。
 踊り場で何かが動いた。

 シロ「いた! あの子だ!」

 僕らの姿を発見してパニックにでもなったのか、下半身のないテケテケは両腕を足代わりにして屋上へと駆け上がっていく。

 ソラ「屋上扉は施錠されてて外には出られないから、逃げ場はないはず!」
 シロ「うん!」

 予想通り、テケテケは扉の前でワチャワチャ慌てていた。
 僕らはテケテケに容赦なく飛びかかった。けれどもテケテケは一瞬早く腕の足で扉を蹴ると、反動で跳躍し、前方宙返りをしながら僕らの頭上を越えて階段に着地、今度は三階へと駆け下り始めた。

 シロ「にゃあ!?」
 ソラ「……何あれ? すんごいね」

 正直捕まえられる気がしない。
 僕には、だけれど。
 けれど、シロは半猫だ。廊下をものすごい勢いで駆けていくテケテケに負けず劣らず身軽なんだ。

 シロ「もー! 待ちなさぁ~い!」

 シロは階段の手すりに跳び乗ると一気に滑り降り、制服のスカートを翻しながら踊り場の壁を蹴って三階廊下に着地し、テケテケを追っていく。
 ネズミを発見した猫みたいだ。

 ぽつんと残された僕は考える。
 まともに廊下を追いかけたって、どうせ僕には捕まえられっこない。校舎の造りは廊下の端と端に階段があるものだ。確率は半々になるけれど、テケテケが手前側の階段を使って駆け下りることを祈って、僕は二階まで階段を下った。
 階段にしゃがみ込み、僕はテケテケが来るのを待つ。

 運良くテケテケは一階までの階段は下らず、二階の廊下を走ってきたようだ。その背後には、まるで本物の猫のように両手を前脚のように使って追いかけるシロの姿もある。
 テケテケが空いていた教室の窓に飛び込む。シロもその中に飛び込み、ドタンバタンと大きな音を立てたあと、再び同じ窓から両者が飛び出してきた。

 ――こっちへ来る!

 テケテケが猛スピードで階段にさしかかった瞬間、隠れていた僕は両腕を広げてテケテケに飛びかかった。

 シロ「ソラ!?」

 ドガッとまるで交通事故のような衝撃があったあと、テケテケを捕まえた僕は背中から倒されて廊下を転がった。けれど。

 ソラ「へ、へへ」

 捕まえた。
 腕の中でテケテケがワチャワチャしている。僕の腕から抜け出そうとするテケテケだったけれど、すぐさま追いついたシロに腕をつかまれる。

 シロ「こ、こら、暴れるなー! ソラ、そっちの手を持って!」
 ソラ「うん」

 僕がテケテケの左手を、シロが右手をつかむと、テケテケは抵抗をあきらめた。まるで捕まえられた宇宙人のように、僕らはテケテケを吊り上げる。足がないから、こうなってしまうとテケテケにはもう抵抗のしようがないようだ。

 シロ「捕獲完了だね」
 ソラ「うん。よかったね」
 ???「おい! そこに誰かいるのか!?」

 宿直の先生の声がして、僕とシロは弾かれたように逃げ出した。

 ???「待て、待ちなさい!」

 そのまま校門を乗り越えて、街中を人目を避けながら走る。多少街行く人に見られてしまったけれど、たぶんぬいぐるみかなんかだと思ったようで、誰も僕らに興味を向けてくる人はいなかった。
 ようやく白堂邸まで戻ってきた僕らは、せ~のでテケテケを外壁から庭園へと投げ込み、すぐさま学校へと取って返す。正直もう疲れていたから休みたいところだったけれど、真崎に何も告げずに学校を出てしまったのだから仕方がない。
 再び学校の中庭に戻ってくると、真崎が知らない女の子と座って何かを話していた。

 ソラ「……誰?」
 真崎「お、戻ってきたか。いやな、何か地面の下から物音が聞こえたから廊下叩きながら調べてたんだよ。俺が叩くと、必ず音が戻ってくるんだ。ああ、こりゃあ誰かいるなーって思ってな。そしたらよ、備品倉庫あるだろ。あそこの備品の下から響いてたわけだ。で、備品をどけたら地下の収納扉があって、そん中になぜか奈々那がいたんだ」
 ソラ「なぜかって。そんなの本人が知ってるんじゃないの?」

 女の子が僕とシロを見て、慌てて頭を下げる。
 肩までの髪の、背の高い女の子だ。

 奈々那「あ、は、初めまして。私、バスケ部後輩の奈々那と言います」
 ソラ「初めまして。僕はソラで、こっちはシロだよ。早速だけど、どうしてそんなところに閉じ込められてたの?」
 奈々那「わ、わかりません。部活が終わって体育館に鍵をかけたところまではおぼえているんですが、気づいたらもう縛られたまま真っ暗な部屋に放り込まれていて。口も粘着テープで塞がれていたので、夢中で壁を蹴っていたんです。そしたら真崎先輩が……」
 真崎「音聞いて発見したってわけだ」

 なるほど。奈々那の足下には切られたロープと粘着テープの残骸が落ちている。

 奈々那「すみません、先輩」
 真崎「いいけど、誰かの悪戯にしちゃあ、これは手が込みすぎてるよな。佐倉が俺に連絡くれなかったら、奈々那は一晩中、収納部屋に閉じ込められたままだったんだぜ」
 ソラ「う~ん」
 真崎「ま、奈々那も発見できたし、七不思議調査もこれにて終了っつーことで、今日はもう遅いし帰るか」
 奈々那「七不思議?」

 真崎がこれまでの経緯を奈々那に軽く説明した。

 奈々那「先輩、それ、七つ目は地下から響く声じゃないですよ。てか、地下の音の原因がわたしだとしたら、昨日今日だけの話じゃないですか。七不思議は昔からある話じゃないと変ですよ」
 真崎「あー、そっか」
 奈々那「七つ目は走る人体模型です。無くした心臓を求めて夜な夜な走り回り、その姿を目にしてしまった人から心臓を奪おうとして……ぅぅ」
 ソラ「奈々那さんはオカルト詳しいの?」

 奈々那が顔色を青くしてつぶやく。

 奈々那「だ、だって、一度聞いたら忘れられないくらい怖いじゃないですかあ……」
 真崎「んじゃま、せっかく六つ調べたんだし、最後にそれだけ見物して帰るか」
 ソラ「そうだね」
 シロ「さんせー」

 あくび混じりに歩き出す真崎に倣って、僕とシロもあとに続く。

 奈々那「…………や、みなさん……怖いじゃないですか…………。……ひぃぃん、待って、待ってくださいよぉ~……」

 奈々那も追ってきた。
 理科室は西校舎の二階だ。鍵は閉まっているけれど、換気用の小窓だけはいつも空いていることを知っている僕らは、そこから侵入する。ちなみに、出るときは普通の窓を内側から開けて出ればいい。閉め忘れだと思ってもらえるだろう。
 人体模型は理科室の隅で静かに佇んでいた。

 真崎「ほんとだ。心臓だけねえや」
 シロ「心臓ないと大変だから、丸めたプリント詰めといてあげよ」
 ソラ「いい考えだね。これならもう探す必要ないね」
 奈々那「やめましょう! ほんっとにやめときましょう!? ねえ!」

 シロがくしゃくしゃにした紙切れを人体模型の左胸に詰め込む。

 奈々那「!?」
 シロ「どっくんどっくん。うん。満足げ。よかったね、人体模型くん」

 シロが人体模型の頭を撫でると、奈々那は後ずさった。
 顔がもうドン引きだ。ここは僕がフォローしなければ。

 ソラ「ごめんね、奈々那さん。真崎は背中に図太い神経が一本しか通ってないような鈍感人間で、シロは怖いものに慣れすぎちゃってるから、いつもあんな感じなんだよ」
 奈々那「や、ソ、ソラ先輩もだいぶおかしいですよ!?」
 ソラ「え? どこが?」

 シロの心臓移植が効いたのか、結局その後も人体模型が動くことはなく、僕らは学校を後にすることにした。
 西校舎一階を歩いていたとき、先頭をいく真崎が手を上げて僕らを止めた。僕らは一斉に柱の陰に隠れる。
 人影が見えたんだ。最初は宿直の先生かと思ったんだけれど、懐中電灯を持っていないし、うっすら見える姿は赤いジャージでもなさそうだ。
 その手には、月光を受けて微かに反射するナイフが――。

 奈々那「……ひ……っ!?」
 ???「――誰だ!? くそ、見たな……ッ」

 息を呑んだ奈々那に気づいたのか、人影が僕らへと向かって猛スピードで襲いかかってきた。それもナイフを振り上げながらだ。

 ???「うあああぁぁぁぁ!」
 真崎「おいおい……。に、逃げろ!」

 僕と真崎とシロが一斉に散った。けれども、奈々那は身を強ばらせて立ち尽くす。ナイフが彼女を斬り裂く寸前、引き返したシロが体当たりで奈々那を突き飛ばした。
 ふぉん、とナイフが空を斬る。

 ???「このガキ――ッ」
 シロ「~~っ!?」

 今度は体勢の崩れたシロをめがけてナイフが突き下ろされた。僕は無我夢中でナイフの刃を片手で叩いて弾く。掌に鋭い痛みが走った。

 シロ「ソラ!」

 猫のように柔軟な足で体勢を戻したシロが、真っ黒な服装の男を、爪を伸ばした手で引っ掻く。

 ???「うおっ!?」
 シロ「ふーーーー!!」

 かろうじて後退してシロの爪を躱した男の背後から、高く跳ねていた真崎が両腕を振り下ろした。

 真崎「おらぁ!」
 ???「ぐあっ!!」

 ゴッ、と鈍い音がして、男が膝から崩れ落ちる。

 真崎「ダンクシュートだコノヤロー!」

 瞬間、僕とシロと真崎が一斉に男の背中に跳び乗って男を押さえつけた。暴れる男の腕を背中に回して、三人で馬乗りになる。

 真崎「んにゃろ、おとなしくしやがれってんだ!」
 ソラ「う、うわ! シロ、そっち押さえて!」
 シロ「ソラ、手から血が――」
 ソラ「これくらい大丈夫!」

 どうにか抑え込んだ。
 けど、ここからどうすれば。いまにも抜けられそうだ。警察に連絡して欲しいところだけれど、奈々那は腰を抜かして呆然としたままだ。

 ???「くっ、放せ、クソガキども!」
 真崎「痛っ、この! まだ暴れやがる!」
 シロ「フギャーーーー! シャァーーーーー!」

 男はまだあきらめていない。背中と両腕を押さえられても、どうにかひっくり返そうと大暴れだ。
 そのときだ。廊下の向こう側に人魂ならぬ、懐中電灯の明かりが見えたのは。宿直の体育教師だ。

 教師「やっと見つけたぞ、おまえら! さっきからうろうろしおって! こんな時間に何をしているんだっ!!」
 ソラ「せ、先生! 警察、警察呼んで! 早くっ!! 逃げられるっ!!」
 教師「お、おまえら……。その人は……?」
 ソラ「そんなことどうでもいいから、早く呼んで!」
 教師「え、あ、あわわ、わわかった」

 その後――。
 謎のナイフ男を警察に引き渡した僕らは、家には戻らず警察署で事情を聞かれることとなった。
 男は強盗犯で警察に追われていたらしく、奈々那は逃走のための人質にされそうになっていたのではないかとのことだった。
 なんにせよ、夜の学校に忍び込んだ行為は褒められたことではないけれど、友人の危機に立ち上がり、救い出したのみならず犯人まで捕縛してしまったお手柄中学生として、僕ら三名は表彰されることになってしまった。
 実際に真崎はその通りなんだけれど、僕とシロはテケテケに用事があってたまたま居合わせただけで、辞退できるものならしたかったのだけれど、そこまで説明してしまうわけにもいかなくて。
 なんともこそばゆい表彰式になってしまった。

 けれどもこの一件を機に、シロの学生生活はガラっと変わった。
 これまで幼少期にイジメを受けた心的外傷から、男子はもちろん女子とだってほとんど会話ができずに、クラスでは僕とばかり話していたシロに、奈々那という年下の友人ができた。背丈の差から、どっちが年上かは見た目じゃわからないけれど、それは僕と真崎も似たようなもんだ。
 奈々那との会話は、シロにとってリハビリとなったのかもしれない。それからシロは他の女子とも少しずつ話すようになってきて、転入から一月が経過したいまでは、以前よりも学生生活を楽しんでいるように見える。
 僕は幼少期から彼女を知っているけれど、僕以外の人間とあれほど楽しそうに話すところをこれまで見たことがなかった。

 そんな彼女だからこそ、僕は時々考えるんだ。
 シロも文太郎氏も、あまり口にしようとはしない、シロの母親についてだ。
 シロも文太郎氏も、彼女が去ったのは文太郎氏のあまりにひどい研究内容に起因していると言っていた。
 でも突き詰めればそれは、半猫少女となったシロ自身のことでもある。そのことにシロ本人が気づいていないわけがないんだ。
 そしておそらくシロはこう思っている。

 ――お母さんがいなくなったのは、自分が猫と混ざって別のナニカになってしまったから……。

 けれども、だとしても。
 いつか僕は、シロと母親を再会させてあげたいと、そんなふうに考え初めていた。